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<title>ガキさんモーニング。</title>
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<description>モーニング娘。新垣里沙さん応援アンオフィシャルです。
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<title>楽しむ姿が、誰よりも魅力的なアイドル</title>
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<description>１０年前には、ガキさんがリーダーになるという現在の状況が、まったく想像のつかないものでした。……、実は今でもあんまり想像がつきません。しっかり者というイメージも完全に定着しましたし、みんなから頼りにされているガキさん。これからのガキさんに大いに期待してい...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2011-10-20T20:02:38+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[１０年前には、ガキさんがリーダーになるという現在の状況が、まったく想像のつかないものでした。……、実は今でもあんまり想像がつきません。しっかり者というイメージも完全に定着しましたし、みんなから頼りにされているガキさん。これからのガキさんに大いに期待しています。でもやっぱり、それと同時に誰よりもモーニング娘。を楽しんでいるガキさんでいて欲しいと思います。<br>
<br>
ガキさんのブログでは以前ほどたくさんの更新があるわけではありませんが（以前は本当に多かった；）ステージ前の緊張とか、終了後の安堵感とか、そのさらに後の仲間（後輩）と楽しんでいる様子とか、そうしたことを書いてくれています。たとえばミュージカル「リボーン」では、ガキさんは堅め、怖めのキャラクターを演じていましたけど、やっぱり舞台前は緊張しているみたい、舞台後ははっちゃけているみたいです。そうしたガキさんの「素」の部分って、以前ほど見られなくなったかもしれませんが、そういうガキさんが好きです。<br>
演じきっているガキさんも好きですし、リーダーシップを発揮しているところも魅力ありですけど、でもモーニング娘。を愛し、モーニング娘。を自分から楽しむ、そんな姿でこれまでファンを魅了してきた、そんなガキさんならではのリーダー像みたいのが、「リボーン」ではちょくちょく見られました。<br>
<br>
たくさんの後輩を前に、使命感とか戸惑いとか、そうしたのも伝わってくるけれど、根本の部分ではモーニング娘。を楽しんでいる。だから、それを見ているファンも一緒になって楽しんでいる。そのガキさんの魅力、この一年もまだまだ続きますように。<br>
<br>
２３歳。心から、おめでとうございます。
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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51767643.html">
<title>３Ｄアイドルの諸問題　ｰほんとうにあった怖い話３Ｄｰ</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51767643.html</link>
<description>ガキさん映画初主演となる「ほんとうにあった怖い話３Ｄ」を先日、映画館で見てきました。実は３Ｄ映画自体、わたしにとって初の体験でした。初３Ｄがガキさん映画というのが、なんとなくうれしいです。

ガキさんにとって初のホラー出演
この映画はガキさんにとって初めての...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-11-14T09:50:31+09:00</dc:date>
<dc:subject>作品</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ガキさん映画初主演となる「ほんとうにあった怖い話３Ｄ」を先日、映画館で見てきました。実は３Ｄ映画自体、わたしにとって初の体験でした。初３Ｄがガキさん映画というのが、なんとなくうれしいです。<br>
<br>
<div class="line">ガキさんにとって初のホラー出演</div><br>
この映画はガキさんにとって初めてのホラー出演となっているわけで、ガキさん自身ラジオで「怯える演技が難しかった」というようなことを言っています。見る側にとっても怯えるガキさんというのは新鮮な感じがしました。ガキさんも経験したことがないのでしょうね。古びたトイレで血みどろのお化けに指をさされることは。実を言うとわたしもそういった経験は一度もありません。目を丸くして眉根を寄せた感じは、怖がっているようにも悲しんでいるようにも見え、映画のストーリーとよくあっていたと思います。<br>
<br>
<object width="425" height="350"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/xqp8vBto8F0&feature=youtube_gdata_player"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/xqp8vBto8F0&feature=youtube_gdata_player" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="350"></embed></object><br>
<br>
<div class="line">３D作品のこれから</div><br>
さて３Dです。この映画のように学校や道など、日常的な風景が３Dになっているとすごい臨場感があります。質感のようなものまで伝わってきます。女子高生役の人が背中を向けたときにブラウスがリアル過ぎて、下着が透けて見えやしないかとひやひやしたほどです。幸い見えませんでした。ところで日本で売っているブラウスってどうしてあんなに透けやすいんでしょうか。どうせなら汗ばんだ箇所だけべっとり赤く染まる仕様にすれば、見かけた人がゾゾーッとなって暑さも乗り切れると思うのですが。<br>
話を戻して、これからの時代、こんな３Dが普通に楽しめるようになるのでしょうか。最近はハロプロの映像作品もブルーレイで出てますしね。モーニング娘。は３D大使に選ばれたことですし、それでなくてもだんだんアイドル作品にも３Dが多くなっていくことでしょう。３Dミュージックビデオ、３Dライブビデオ、３Dイメージビデオ。<br>
<br>
<div class="line">焦点問題</div><br>
確かに臨場感あふれるリアルな映像は増えたらいいと思います。しかし映画を見ていて感じたのは、単に「いいな」と言うだけではありませんでした。<br>
一つ目は焦点の問題です。３Dカメラといっても手前から奥まで全部がくっきりというわけにはいきません。当然ですが。焦点部分は非常に鮮明に（気持ち悪いくらいくっきりと）見えるのですが、それ以外の部分は、結構ぶれたように見えます。特に焦点よりも手前にあるオブジェクトを見ようとすると、露骨にぶれます。劇中に中島さんと新垣さんが会話をする場面があります。中島さんの顔が見える角度で、向き合っているガキさんはこちらに背中を向けています。もちろん表情が見えるなっきぃの方に焦点が当たります。物語的にも気まずそうななっきぃの表情が重要なパートです。そうすると、それよりも手前にいるガキさんは非常に見づらいわけです。わたしのように内容よりもガキさんに興味があって見に来た、という人にとっては２Dよりもずっと見づらい映像になってしまいます。あと、女の子の顔よりも後頭部が好きだ、というフェチの人も困ってしまうでしょう。<br>
奥行きのある風景なのに、見たいところが見られない。無理矢理見ようとするとピンぼけした映像になってしまう。焦点問題は２Dよりも深刻に感じます。実際すごく目が疲れました。<br>
最初は、まだ技術が未発達なのかな、とも思いましたが、おそらく解決するつもりがないのだと思います。映画監督としては、自分の見せたい部分に観客の目を集中させられるわけで、作成者の意図と無関係な見方を制限できます。客は映像の指示通りに目線を動かさざるを得なくなります。ほかの部分を見ようにも、ぼやけてろくに見られませんから。「別にあまのじゃくな見方をしないで、監督の考えたとおりに楽しめばいいんじゃないか」と言う人もいるでしょうが、それでも映像は見たいように見たい。何度も見る映画は「背景はどうなっているのか」とか「こっちの脇役はどんな演技をしているのか」と細かいところまで見たいものです。「次はここを見ましょう。その次はここです」と指示通りに目を動かすだけなら、私たちの脳は映像に対して完全に受け身になります。「よーし、見るぞ！」なんて気合いを入れなくても、予定調和的に目線を動かすだけでいい。<br>
<br>
<div class="line">アイドル映像がかえって平坦に</div><br>
もしこの技術がアイドルのミュージックビデオにも使われたらどうなるでしょうか。現在でも歌番組で多く映るのはボーカルメンバーです。一曲通してほとんど映らない、というメンバーだっています。でも奥にいるバックメンバーを見ている人はたとえ映りが小さくとも、好きなメンバーをみたいじゃないですか。そうやって新人メンバーとかに注目するヲタがいるからこそ、アイドルが活性化していく。それが視聴者の映像を誘導するような３Dになったら、事務所の注目させたいメンバーしか見ることのできない映像のできあがりです。繰り返しますが「事務所はこのコを売り出しているけど、おれは後ろのコがかわいいと思う」という状態はアイドルにとってすごく重要です。アイドル推しは予定調和ではあり得ない。もし事務所の売りたいメンバーしか見ることができなくなってしまったら、それはアイドル推しという行為の死を意味します。<br>
<br>
<div class="line">不気味の谷</div><br>
もうひとつ、ハイビジョン映像にとって避けられないであろう「不気味の谷」の問題も３Dでは進んでいきます。映像がリアルになればなるほど、本物との違いが気になってしまう、という問題です。「トイ・ストーリー」に出てくるおもちゃたちの表情は違和感なく楽しめても、人間キャラには違和感を感じた、なんてことはないでしょうか。「シュレック」に出てくる異性物はかわいいのに、人間の方が気持ち悪かった、とか。本来、親近感を覚えるはずの方が、身近なだけに違和感も大きい。それが「不気味の谷」です。で、今度はそれが実写版映画においても起こるんじゃないのか、とわたしは考えています。奥行きを持った映像は、２Dなんかよりもずっとリアルです。このリアルというのが問題で、触れられそうなくらい立体的な分、現実と映像との微妙な差異に違和感を覚えてしまうんですね。「ほんとうにあった怖い話３D」でも、お化けがリアル過ぎて、お化けというより実体に見えてしまいました。ほら、お化けっているのかいないのかわからないくらいの方が怖いじゃないですか。３Dだと存在感がありすぎる。<br>
それから劇中に大写しにされるポーチのスケール感も気になりました。化粧ポーチが映画館の大スクリーンに映っても、ポーチが巨大化したとは通常は思いません。画面フレームの中でいくら大きくなっても、その中の出来事ですから。しかし３Dでは枠を無視して飛び出してきます。しかもリアルです。そうするとわたしの脳みそはついて行かれずに、ポーチ的な巨大な何かを前に戸惑うばかり。ポーチの形をしたかばんです。<br>
<br>
<div class="line">アフォーダンスを揺さぶられる</div><br>
私たちの身の回りにあるものにはアフォーダンスがあります。化粧ポーチを見れば片手でつかむことを無意識に連想しますし、かばんを見れば抱えて持つことを無意識に連想します。ポーチやかばんがそうした情報を投げかけてくるからです。しかし３Dに大写しにされたポーチは存在感がありすぎた。画面に映っているのはポーチに違いないことはわかっていてもスケール感が狂っていて「つかむ」というよりも「抱える」ものに見えてしまいます。「慣れの問題じゃないの」と言う人もいるかもしれません。しかしこの立体感のある巨大なポーチにわたしたちの目が慣れてしまうということは、すなわちわたしたちの現実感が希薄になるということにもなるんじゃないでしょうか。現実のポーチよりも３D映像の方に慣れてしまうのですから。<br>
現実よりも存在感を持ち始めるデジタル映像。この差は技術で狭まりはしても埋まることはありません。現実のものと、立体的に見えるように加工されたデジタル映像との差がゼロになることはあり得ませんから。両者は本質的に別物です。不気味の谷が残り続けるか、それとも慣れてしまって現実世界の方が色あせていくのか、どちらかだと思います。それはそれでいいですけどね。現実世界がいつでも色鮮やかで楽しいとは限りませんから。<br>
<br>
<div class="line">人形化するアイドル</div><br>
ではアイドルのイメージビデオが３D化したら？生身の女の子よりも、ビデオの中のアイドルの方が存在感を持ってしまうとしたら？<br>
映画で見たガキさんは、いつもライブで遠くの席から見るガキさんと違って、細かなところまでくっきり見えました。鼻のほくろとか。さっきお化けがリアル過ぎてもはやお化けに見えない、と書きましたがアイドルにも似たようなところがあるのではないでしょうか。アイドルといえば、テレビの中の天使、ベールの向こうにいる女神、そういう楽しみ方をする人が多いです。現実世界の彼女よりもアイドルが身近になったらもはやアイドルではないでしょう。距離感は人それぞれでしょうが、ちょっと手の届かないくらいの方が、アイドルとして推しやすい。それが３Dで手の届く位置に現れたら？繰り返しますが３Dは立体的な現実を写し取る技術ではなく、あくまで立体的に見えるように加工された平面映像に過ぎません。存在感、立体感を持つように加工された女の子。それってＣＧで描かれた美少女キャラといったいどう違いますか？<br>
アイドルの３D化によって、アイドルはＣＧとの差異を失っていくのかもしれません。それもＣＧが人に近づくのではなく、人がＣＧに近づいていく方向です。そしてわたしたちの感性が人間よりも映像に慣れてしまう。アイドルよりも人形の方に説得力を感じるようになる。「テレビで見るよりきれいですね」というほめているのかけなしているのかわからない言葉も、もはやテレビ写りの問題ではなく、デジタル加工されたイメージと実物との比較になるわけですね。<br>
<br>
現実よりも遥かに訴求力の強いデジタル映像。リアルよりも遥かに存在感のあるデジタルアイドル。それを楽しむくらいの覚悟が必要な時代にいよいよ突入したのでしょうか。それと同時に現実に踏みとどまることも選択肢に入れておくべきかもしれません。アイドル追っかけの現場で感じたことを映像イメージよりも大切にする姿勢を取ること。テレビにどう映ろうが、あくまで現場の生きた感性でアイドルを語る。そういうアイドル語りを続けていきたいなあ、と感じています。<br>

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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51758668.html">
<title>２２歳の誕生日に　－そのままでいつづけるアイドルへ－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51758668.html</link>
<description>お誕生日おめでとうございます。


「一緒に年をとっていきましょう」


１２歳で入ってきて、今２２歳。１０年間という長い時間。

娘。に入ることがガキさんの夢で１２歳で夢が叶った。その後に１０年間、相当な努力を要する仕事だと思いますが、それを１０年間。...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-10-20T00:00:22+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[お誕生日おめでとうございます。<br>
<br>
<br>
「一緒に年をとっていきましょう」<br>
<br>
<br>
１２歳で入ってきて、今２２歳。１０年間という長い時間。<br>
<br>
娘。に入ることがガキさんの夢で１２歳で夢が叶った。その後に１０年間、相当な努力を要する仕事だと思いますが、それを１０年間。<br>
<br>
<br>
僕は、アイドルというのは一瞬の輝きのことだと、ずっと思っていたんです。一度かぎりの「青春」とか「若さ」こそがアイドルの領域だと、ずっと思ってた。ある程度、年季が入ってくると、「歌手として」「役者として」「タレントとして」は成長するし魅力的にもなるんですが、アイドルとしてずっと輝き続けられるわけではない。<br>
その考えそのものは今も変わっていません。<br>
<br>
<br>
でも、愛ちゃんもそうだし、ガキさんも、優れた役者になりつつある、優れた歌手になりつつあるんだけれど、同時に「役者」とか「歌手」というカテゴリーに括られるのを拒むような魅力を主張してくる。これは、モーニング娘。という箱がそうさせるのか、それ以外の理由か。理由はわかりませんが、やっぱりプロとしての発言よりも先に「ファンの皆さんと一緒に年をとっていきたい」という発言が出てくるあたり、ガキさんは今でもずっとアイドルしているんだなあ、と感じます。<br>
<br>
<br>
緑のサイリウムに向かって「ありがたや～」これはたぶん照れ隠し。客席に向かって「愛を贈るね」とハートを描く。これも猛烈に照れながら。いくつになっても慣れない感じの行動、素人臭さの抜けない行動。実力がついてきているといっても、決して手の届かない高みに立とうとはしない。あくまでメンバーと一緒に、ファンと一緒に。そういう魅力って、アーティストにはできない。アイドルにしかできない。この魅力、アイドルを応援してみないと、アイドルとともに駆け抜けるような経験をしてみないと、完全にはわからないんだろうなぁ。それが１０年も続いているというのはすごい。それを今年も目撃できているというのは、嬉しい限り。<br>
<br>
<br>
２００８年１０月２０日の、このブログでこんなこと書いてます。<br>
<blockquote>来年も同じ気持ちで「おめでとう」て言えたらいいなあ。だってハロプロは変わるけど、ハッピーガールが持つハッピーの中身は、変わらないでいて欲しいから。 ?</blockquote><br>
今年もまったく同じ感想を持てている。<br>
あんまり高望みするもんじゃないけど、とりあえず<br>
<br>
<br>
<br>
来年も、同じ気持ちで「おめでとう」と言えますように。<br>

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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51723633.html">
<title>機能的システムとしてのアイドル　－１０年代のアイドルを予想する－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51723633.html</link>
<description>文化の歴史は分化の歴史である
人が注目する文化は、基本的に価値が細分化していきます。たとえば日本の漫画創世記を支えた手塚治虫の作品は、笑いも冒険も戦いも友情も社会批評もすべての要素がない交ぜになっています。それがだんだんコメディ漫画、冒険漫画、社会派漫画、...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-07-19T18:25:23+09:00</dc:date>
<dc:subject>アイドル史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<div class="line">文化の歴史は分化の歴史である</div><br>
人が注目する文化は、基本的に価値が細分化していきます。たとえば日本の漫画創世記を支えた手塚治虫の作品は、笑いも冒険も戦いも友情も社会批評もすべての要素がない交ぜになっています。それがだんだんコメディ漫画、冒険漫画、社会派漫画、格闘漫画という風に分かれていきます。で、コメディ漫画からはさらに細かく「ちびまる子ちゃん」や「クレヨンしんちゃん」などのホームコメディ、スラップスティックコメディ（ドタバタギャグ漫画）、不条理漫画、などいろいろな系が分かれていきます。文化というのは長く動くと、その分だけジャンルが細分化していくんですね。文化の歴史は分化の歴史であると言えます。<br>
<br>
<div class="line">７０年代～００年代　－機能分化するアイドル－</div><br>
人気者を意味する「アイドル」もやはり、時代とともに細分化していきます。最初は人気ものは存在自体が特別な人のことだと考えられていました。７０年代はスターの時代です。８０年代になると、「陰ではどうかわからないけど、テレビの前では格好いい人・かわいい人」が人気者になります。「アイドル」という文化領域が誕生したアイドルの時代です。９０年代になると、彼ら・彼女らの為す仕事を見て「ピュア派」「ダンス派」「演技派」「歌唱力派」など、細かな価値基準で、人気者を測るようになるアーティストの時代になります。００年代はキャラの時代と呼ぶべき時代です。人気者のプロフィールを身長・体型・顔立ち・出身地・趣味などの細かな属性に分け、そこから無数の細分化された価値が生み出されます。そのラインナップは「オタクアイドル」「おバカアイドル」「チビアイドル」「貧乏アイドル」と実に多種多様……というか実に細かいところに注目しています。<br>
<br>
<div class="line">差異を自己創出する閉鎖系</div><br>
アイドルは「スターシステム」から機能的に分化して生まれ、その内部でどんどん価値が細分化していっているわけです。ニクラス・ルーマンの言う「機能的システム」です。機能分化は、価値を生み出す仕組み（システム）が入出力のない閉じた状態になることで起こります。「入出力の不在」というのはシステム論の中でも理解するのが難しい概念なのですが、アイドルで言えば「他のものと競争・比較・参照することなく、新しい価値が生まれること」と定義できると思います。それでもやっぱりわかりにくいので例をあげて説明しましょう。８０年代前半まで、アイドル歌手というのはあくまで「音楽的価値」を生み出す存在と考えられていました。松本伊代や松田聖子の歌う夢物語は歌謡曲の１ジャンルと見なされていました。だから「松田聖子と北島三郎で歌勝負！」みたいな、今では意味不明な企画も、ありなんですよね。演歌もロックもテクノもアイドルも、全部が日本の歌謡界を盛り上げる要素でした。 松田聖子の価値は、その他のあらゆる歌手との競争・比較・参照によって決まります。つまり「演歌にできなくて松田聖子にできること」は、松田聖子の価値になる。「ロックにできなくて松田聖子にできること」も、松田聖子の価値になる。松田聖子の価値は、他との差異が生み出す価値だったわけです。この「差異」は後々重要な概念となりますから、記憶しておいてください。アイドル価値とは差異のことなのです。<br>
<br>
<div class="line">一元的な価値基準上の「スター」　－スターの時代－</div><br>
キャンディーズあたりをイメージするのが、一番わかりやすいと思うんですが、「アイドル」という言葉が日本に定着する以前の話です。<br>
<br>
キャピキャピと跳ね上がるような高い声。<br>
牧歌的で乙女チックなかわいらしいラブソング。<br>
かと思えば男を誘う小悪魔的な歌。<br>
でもライブに行くと歌う曲の半分は洋楽のカバー。<br>
今見ても「過激じゃないの？」と思える超ミニスカート。<br>
曲中にちょくちょく入る「うっふん」「あっはん」といった色っぽい吐息。<br>
<br>
「かわいい」から「セクシー」までの振り幅が異様なまでに広いし、アイドルとアーティストの境もあいまい。そんなキャンディーズがトップクラスの人気者になっていたということは示唆的です。「アイドル」という言葉がないというのは、単に言葉がないだけではなく、「アイドル」と呼ぶべき文化領域がまだこの世に生まれていないことを表している。そんな気がします。<br>
アイドル百花繚乱な現代とは違い、まだ歌謡界は女の子のかわいらしさだけを商品化するすべを持っていなかったし、世間も女の子のかわいらしさだけを楽しむ評価基準を持っていなかった。だからキャンディーズを売り出すためにはセクシーも目指すし、かわいさも目指すし、音楽性の高さも目指す。ファンはそれにひたすらついていく。という状態だったのでしょうね。<br>
そこには一元的な評価軸しか存在しません。「いい女」はとにかく「いい女」であって、それがテレビに出るのなら、愛嬌も色気も歌唱力も演技力もトーク力も高いに違いない、とみんなが信じていて、「いい女」は、どの分野においても「いい女」でなければなりませんでした。<br>
現代にも「マルチタレント」と言う人はいますね。歌も演技もルックスも全部すごい福山雅治さんのような人です。けれどそれは特別な事例だと、みんなわかっています。「マルチ」という言葉が表すのは「本来別々の分野なのに、全部できちゃう」という特殊性です。現代の人にとってそれらは本当は別の能力です。<br>
「いい女」と「よくない女」というたった一つの価値基準で、世にいる女性に優劣がつけられる、と多くの人が考えていたからこそ「スター」は色気も愛嬌も求められたのです。そこでは「いろんな良さがある」という相対主義的な価値観は通用しません。７０年代において「かわいいけど歌が下手」は半端物の証だったし、「歌はいいけど演技はだめ」というのは欠陥でしかなかった。「カメラの前では完璧だけど、私生活がだらしない」なんていうのは論外です。スキャンダルは御法度です。「スター」は存在そのものが特別でなければならないんです。全存在をかけて「スター」なんです。だから比較対象はとても広い。「吉永小百合にできなくて山口百恵にできる演技」という差異は山口百恵の価値を生む。「和田アキ子にできなくて山口百恵にできる歌」という差異も山口百恵の価値を生む。その他あらゆる人気者との競争・比較・参照によって価値が決められてしまうのです。<br>
<br>
「普通の女の子に戻りたい」<br>
<br>
キャンディーズがこう言って引退を宣言したのも無理のない話です。彼女たちは「普通」であることが許されかったのですから。山口百恵が結婚して引退をしたのも決して「みんなの夢を壊すから」ではなく、「家庭を守るため」と、みんなが了解していたはずです。山口百恵はみんなが尊敬し、みんながあこがれる「スター」です。<br>
確かに「スター」は王様でもないし、神様でもありません。そういう想像力の遙か上を行く存在ではありません。しかし、一般大衆の想像しうる範囲で、完璧な人間に限りなく近い人たちだと思われていました。<br>
<br>
<div class="line">閉じたアイドルシステム　－アイドルの時代－</div><br>
アイドルシステムが、他との競争・比較・参照を必要としない閉鎖系システムになったのは、８０年代後期の話です。おニャン子クラブは、演技や歌唱で他と比較しなくてもおニャン子クラブでいることに価値があります。アイドルとしての価値は、アイドル以外と競争・比較・参照せずとも、測れるようになります。中山美穂とか小泉今日子とかもそうです。歌謡界での比較にさらされはするんですけど、歌手としての価値が小さくても、女優としての価値が小さくても、アイドル的におもしろければ価値がある、と見なされる。「小泉今日子にできなくて、中山美穂にできること」が中山美穂の価値になる。アイドル界の内部での競争・比較・参照で、アイドルの価値が生み出される。入力も出力も存在しない閉じたシステム、オートポイエーシス・システムです。<br>
<br>
<div class="line">為す仕事による細分化　－アーティストの時代－</div><br>
９０年代には「アイドル」という言葉が聞かれなくなりますが、「ガールズポップ」「女優」「美少女」などといった、細分化したシステムが表に出てくるようになります。その中で「ピュア派」「ダンス派」「正当派」「癒し系」という細分化した価値が創出されます。アイドルがさらに機能分化したと言えます。そこでは「安室奈美恵にできなくてＳＰＥＥＤにできること」がＳＰＥＥＤの価値であり、「内田有紀にできなくて広末涼子にできること」が広末涼子の価値である、という風になります。ダンス派はダンス派内部での競争・比較・参照によって価値が生まれ、ピュア派はピュア派内部での競争・比較・参照によって価値が生まれる。アイドルという閉鎖系システムの中に、細分化した「ダンス派」の閉鎖系、「ピュア派」の閉鎖系が作動して、それぞれの価値を他との競争・比較・参照なしに自己創出します。<br>
<br>
<div class="line">属性による細分化　－キャラの時代－</div><br>
さて、００年代はどうでしょうか。モーニング娘。においてメンバーの魅力はどのように創出されるでしょう。「背の高いコと背の低いコ」の差異が、メンバーの属性を決めます。それは世間的に見て長身・短身ということでなくて、モーニング娘。内で一番長身・短身というだけでもキャラの魅力になるわけですね。モーニング娘。内部での差異で「キャラ」という価値が生み出される。００年代の特徴は、モーニング娘。の価値は、モーニング娘。の内部での差異です。そこには他との影響関係もあるにはありますし、他のアイドルとの比較で価値を決める仕組みも一応作動していますが、それよりもメンバー内で差異を生む方が注目に値します。中澤裕子はメンバーの中で、最年長であればいい。飯田圭織はメンバーの中で、一番背が高ければいい。そういう自己創出がモー娘。の魅力でした。アイドルシステムはユニットレベルにまで細分化されたのです。<br>
メンバーを忙しく入れ替えるシステムの成功には、メンバー間の差異が価値に直結するような閉鎖系システムが形成されていたことが不可欠でした。だから、増やしたり減らしたりすればいい、というものではないわけですね。<br>
さらに松浦亜弥ともなると、向かうところ敵なし状態でしたから、他との競争・比較・参照は無意味でした。松浦亜弥の価値創出は「トロピカ～ル恋して～る」よりハイテンションな「ＹＥＡＨ！めっちゃホリディ」という差異です。「髪を下ろしているあややにはなくて、髪を上げたあややが持っている魅力」という差異です。松浦亜弥という閉鎖系の内部で、次々と差異（価値）が生み出されるオートポイエーシス・システム。<br>
<br>
<div class="line">売れるアイドルの作り方</div><br>
さて、グループ内部での差異だけで価値を生み出せてしまうようになった現代、もし新たなアイドルを生み出すとしたら、どういうやり方がいいでしょうか。一つは「アイドリング！！！」のように、内部での差異を徹底的に際立たせるやり方が有効でしょう。もう一つは、アイドルオタクが勝手に差異を生み出したくなるような制度を取り入れてしまうことです。ＡＫＢ４８の総選挙ですね。<br>
ＡＫＢ４８の総選挙に投票する人は、別にＡＫＢ４８のＣＤ売り上げを他のグループよりも上位にしたいと思ってＣＤを買っているわけではない。ＡＫＢ４８という閉鎖系の中で、「あのメンバーよりこのメンバー」という差異を生み出すシステムが作動しているだけです。楽曲の音楽的価値も「ＡＫＢ４８の新機軸」「古き良きＡＫＢ４８」といった内部の歴史と比較・参照する中で語られます。<br>
<br>
<div class="line">１０年代を予想する</div><br>
最後に、１０年代には何が起こるでしょうか。ここまで細分化したアイドル界はさらに機能分化するでしょうか。おそらく、分化します。アイドルがおもしろくあり続ける限り、様々なおもしろさ、様々な価値が発見されますから。２００５年に「歌うこと」と「育つこと」の価値が分化しました（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51622461.html">「『歌う』と『育つ』の機能分化」</a>）。アイドルが「歌う」ことの価値が閉鎖系を作り、アイドルが「育つ」ことの価値も閉鎖系を為す。それは鉄道オタクの形成している文化を見るとイメージできます。鉄道オタクの世界には「撮る」「乗る」「集める」など、細分化された価値がひしめき合っています。この偏執狂的なまでの細分化こそがオタク文化の目指す先にあるものです。アイドルもそうなるかもしれません。「踊ること」「しゃべること」「映ること」「立つこと」、それぞれのマニアがいて、それぞれの世界観を持ち、それぞれの価値を創出していく。なんか気味悪く感じる部分がなくもないですが、その状態を楽しめるような視点が、これからのアイドルを支えていきそうです。ガキさんの髪型ばっかり語る人がいて、ガキさんの衣装ばっかり語る人がいて、というのが楽しくなる時代。やっぱり今のオタク界でナンバーワンなど目指す必要はないだろうな（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51717858.html">「必死にならないオタク学」</a>）。<br>
<br>
<div class="line">ハロー!プロジェクトを元気にするには</div><br>
今いるアイドルがさらなる価値を生み出すためには、内部で差異を生み出し続けるような仕組みをイメージすることです。ハロプロで今、もっとも活発に生成される差異は、ユニット間の差異です。モーニング娘。とBerryz工房と℃-uteの間の差異。「こっちのグループになくて、むこうのグループにあるもの」という差異が価値を生む。だから、ハロプロを元気にするためには、ハロプロの外と競ったり比べたりするんじゃなくて、ハロプロのそれぞれが、それぞれの特徴を他のグループとは違うやり方で強調していくのが一番だと思います。そのために大切なのは、やっぱりハロコン、夏と正月に行われる合同コンサートだと思うんです。ハロコンで、仲良くみんなで歌うお祭り的な演出ばかりではなく、歌合戦的にそれぞれの見せ場を競い合う、みたいな。そういう制度があるといいのではないでしょうか。
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51717858.html">
<title>情報社会は何を変えたのか　-必死にならないオタク学-</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51717858.html</link>
<description>ふだんガキさんは深夜にブログ更新とかしない方なので安心していたのですが……、夜中に通知が来まくる来まくる；フランスとの時差をこんな形で体感するとは思いませんでした（寝不足）。こんな状況、数年前までは全然予測もつきませんでした。

ベールの向こうを求める想像...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-07-04T10:29:07+09:00</dc:date>
<dc:subject>世迷い言</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ふだんガキさんは深夜にブログ更新とかしない方なので安心していたのですが……、夜中に通知が来まくる来まくる；フランスとの時差をこんな形で体感するとは思いませんでした（寝不足）。こんな状況、数年前までは全然予測もつきませんでした。<br>
<br>
<div class="line">ベールの向こうを求める想像力</div><br>
数年前までは、知りたい情報があんまり手に入らなくて、ファンの側であれこれ想像しないと、メンバーのことはわかりませんでした。楽屋ではどんな話をしているのだろう。どんなもの食べているのだろう。リハーサルってどんなことするんだろう。そういうファンの知りたいことがいっぱいあって、でも手に入る情報は、新曲リリースでいくつか出演するテレビやラジオの番組しかない。それ以外だと、シングルＶのメイキング。週１回ペースのレギュラー番組。その程度しか情報がない、というのが数年前の状況でした。いろいろと知りたい気持ちに対して、提示される情報が圧倒的に少ない。そういう状況のとき、私たちは想像力を働かせる。提示されている断片的な情報をパッチワークのように組み合わせて、その作業の先にメンバーの性格とかグループのらしさとかが見えてくる。私たちと、メンバーとを隔てるベールの向こうを求める想像力。それがファンの語りを生む。<br>
<br>
<div class="line">ファン語りを凌駕する情報社会の到来</div><br>
現在の状況はまるで逆です。デビュー前のメンバーがツイッターで自分の近況を頻繁に流していたり、本番前の舞台の稽古風景が毎日のように更新されていたり。こちらが知りたいと思うよりも遙かに多量の情報が、どんどん流れてくる。テレビとかステージとか、そうやってメンバーを「推す」経験を積み上げてメンバーのことを知る、という従来の手順とは違って、「推す」ことをする機会の数十倍、情報だけが流れ込んでくる。ファンの語りは従来通りには機能しなくなる。チェックしきれないブログやつぶやきの中では、どうしても共通のものをみんなで語るということは成立しにくくなる。情報が経験を圧倒する。私たちの「行為」を遙かに上回る情報。その中では「行為」の方も形を変えざるを得ないではないか。多すぎる情報が、私たちの行為の意味を変容させ、経験のあり方を塗り替えていく。情報社会の真の恐ろしさはそこにある。<br>
<br>
<div class="line">情報が「推し」の在り方を変容させる</div><br>
そこではメンバーを知るための想像力も、メンバーに近づくためのいろいろな工夫（握手で粘る技とか、客席で目立つ手段とか）もほとんど意味をなさない。そこでは本来、身体が実感していた適切な距離感というのが破壊されていく。情報社会にもメリットはたくさんあるのは、確かにわかるんです。しかし、時代の変化に興奮よりも戸惑いを覚えてしまうのは、年を取ったせいなのでしょうか。推しているメンバーのブログが日に５・６回更新されるという、夢のような状況は、実際に到来してみると確かに楽しい。楽しいけど、その中でたぶん、自分がガキさんを推す、そのあり方はやっぱり変わっていくことになるのだろうと思います。しかし、時代を後戻りはできないし、そんなことに意味はない。たとえ時計の針を１０年戻したところで、００年代を経過して、やがては情報過剰な社会が到来するだけです。過去に戻ることには何の意味もない。ブログを見なきゃいい、という問題でもない。そんな消極的な選択をするくらいなら、その程度の覚悟しか持ち合わせていないなら、アイドルオタクを名乗る資格はない。そんなことなら、「推し」が姿を変えていく、それに耐える道を僕は選ぶ。だから、これから必要なことを考えたい。過剰な情報の中から、自分に必要なものをピックアップすること。そのためには自分の応援がどこに向かっているかを、常に問い直す姿勢が問われるのだろう、と思います。メンバーに近づく、という一つの目標をみんなが持っていた時代とは、全く別のアイドル経験が、待ち受けているような気がします。<br>
<br>
<div class="line">選択の時代</div><br>
ところでここ数年、日本で大きくヒットしたＳＮＳといえば「ｍｉｘｉ」、世界で大ヒットしたＳＮＳといえば「Ｔｗｉｔｔｅｒ」でしょう。その２つのサービスの共通点は情報が過剰に重くならないための工夫だと思います。「ｍｉｘｉ」では情報発信をする際に、友人まで、とか許された友人まで、とか発信の範囲を限定します。自分のホーム画面に入ってくる情報は、社会情勢よりも友人の近況の方が上です。自分にとって必要な情報だけが目に入り込んでくるので、気軽に安心して利用できる。入ってくる段階で情報に選別をかける「情報パーミッションシステム」と言えます。Ｔｗｉｔｔｅｒでは一回の投稿では１４０字までとその量に制限がかかっています。そして投稿は「つぶやき」、読む行為は「フォロー（後ろからついていくこと）」といって、表現自体が非常に軽い。情報過剰な社会でヒットするサービスとは自然と必要な情報だけが選別されるシステムを採用しています。その情報社会がアイドル推しを変えるとすれば、それはどう変わるのか。きっと、コンプリートとかコレクションとか、全体を網羅する行為がどんどん困難になっていくでしょう。そこで現場では「関東現場コンプリート」とか、コレクションでは「トレーディンググッズだけコンプリート」とか、範囲を限定するような言葉が飛び交うようになります。ｍｉｘｉみたいに。あるいは「見学」とか「会場推し」といった、行為そのものが軽くなるようなことをします。Ｔｗｉｔｔｅｒみたいに。<br>
００年代アイドルが、どれだけ情報を得るか、だったとすれば、１０年代からのアイドルは「どの情報を選び、どの情報を選ばないか」が課題となる。そこでは力業とか財力とか、必死さとかに加えて、知恵が大切なのではないでしょうか。<br>
<br>
<div class="line">必死にならないオタク学</div><br>
例えば受験を想像してみましょう。３００人合格枠がある。その場合、何が何でも１位を目指すことは正解でしょうか。１位だって３００位だって、合格は合格だ。ただし３０１位では困るけれど。この３００位というボーダーラインに乗っかるまでは、どんどん点数を上げて質を高めていく必要がある。しかし、３００位を超えてしまえば、あとはその状態を維持することにエネルギーを注ぐべきだ。１位を取るために、今の学習スタイルを見直して、失敗するリスクを負ってまでやり方を変えるのというのでは、スマートとはいえない。それは、作った氷が絶対融けないようにと言って、冷凍庫を-２７３℃に冷やすことの愚かさに近いです。氷を維持するなら０℃以下……-２０℃もあれば充分すぎます。エネルギーを使いすぎると、別のところでつけが回ってくる。１番になること、その世界で神様になることを目指す必死系のオタクは互いにしのぎを削る毎日を送る中で、くたくたに疲れ果ててしまってはいないでしょうか。特にアイドルの追っかけは体力、財力ともに消耗する量が尋常ではない。そろそろ「必死」から「維持」へと、「浪費」から「サイクル」へとパラダイム・シフトを起こさないと、この細分化する追っかけの世界ではやっていけないでしょう。<br>
<br>
<div class="line">オンリーワンになれなくてもいい</div><br>
自分が一番目立たなければいけないということはない。オンリーワンでなければならない、ということはない、と開き直ってしまうことが大切。ワン・オブ・ゼム、その他大勢でいいのです。より前に、より高く、より目立つように。そうやって競争が必要な時期は、もう過ぎ去っています。<br>
以前はコレクションを通じて、推しているメンバーのすべてを収集していたつもりでいたけれど、可能な限り娘。の情報はチェックしていたつもりだけれど、ちょっとここ最近、流れ込んでくる情報量はただごとではない。この状況では、おそらく「可能な限りすべて……」という必死さそのものが空回りしてしまうんじゃないか。「ナンバーワンになれなくてもいい」という歌が流行りましたが、情報社会においてはナンバーワンである必要も、オンリーワンである必要すら、ない。合格最低点に乗っかっていれば、それでいい。<br>
<br>
<div class="line">結果よりも行為として</div><br>
彼女の活動にコミットする、そのプロセスを楽しみたい。長時間遠征して、徐々に現場に近づいていく興奮とか、コンサートで好きなコが登場して、気持ちが高ぶるときの身体感覚とか、そういうものを大事にしていきたい。結果よりも過程。結果としての「レス」よりも行為としての「推し」。結果としての「コレクション」ではなく、行為としての「トレーディング」。そういうのが一定の周期で身体を駆け巡ると、私たちの生活がちょっとだけ元気になる。ちょっとだけ活力が流れ込んで、希望みたいなのが見える。そういう必死にならない在り方を探っていくこと、できないでしょうかね。すこし力を抜いて、考えてみたいです。
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51670065.html">
<title>「１０ ＭＹ ＭＥ」全曲感想マラソン</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51670065.html</link>
<description>３月１７日。
ｔｗｉｔｔｅｒにて、全曲感想マラソンを実施しました。


感想マラソンとは

これはＣＤをかけながら思いついた感想を次々つぶやいていくという試みです。この試みのポイントはトイレに立つときもＣＤを止めないということ。長く感想を書こうとしていると、そ...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-03-18T22:31:59+09:00</dc:date>
<dc:subject>作品</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[３月１７日。
ｔｗｉｔｔｅｒにて、全曲感想マラソンを実施しました。
<br>
<br>
<div class="line">感想マラソンとは</div>
<br>
これはＣＤをかけながら思いついた感想を次々つぶやいていくという試みです。この試みのポイントは<b>トイレに立つときもＣＤを止めない</b>ということ。長く感想を書こうとしていると、その間に次の曲に流れていってしまうため、どうしてもぶつ切りの直感的な感想になります（ここが大事）。<br>
<br>

<div class="line">思いつきをつぶやくことで新たな視点が得られる</div>
<Br>
このブログの目的は「モーニング娘。の魅力を、ガキさんの魅力を、ここならではの視点で語ること」です。しかし更新を繰り返していると、どうしても視点が偏ってしまうもの。そこで、新たな視点を得るためのアイデア支援・ブレーンストーミングとして、感想マラソンを実施。思いついたアイデアを逃さずつぶやく、しかもフォロワーに見られているかもしれない、という緊張感のおかげで「せめて読んでわかるように書こう」とするため、後から読み返して自分で意味がわからない、ということがありません。この試みは、次のブログネタになりそうな視点を少なくとも１０コくらい、僕に与えてくれました。
<br>
<Br>
<div class="line">タイムラインを全て掲載します</div><br>
モーニング娘。ニューアルバム「10 MY ME」全曲感想マラソンします。よーい、ドン
<br>
<Br><div class="line">１．Ｍｏｏｎｌｉｇｈｔ ｎｉｇｈｔ　～月夜の晩だよ～</div>
<ol><li>いきなりキャッチーな……「気まぐれプリンセス」を通過した娘。にはこんな展開もあり</li>
<li>サビが格好いい。現場でのコールポイントがはっきりしているのはさすがですね。</li>
<li>おわ、マーボー豆腐こぼしたΣ</li>
<li>『老いも若きもおこちゃまも……』これ！これ！これこそモーニング娘。にできて他のユニットにできない煽り！！……逆にこれがないと、この曲はＢｅｒｒｙｚ工房とだだかぶりですね；汗</li>
</ol>
<Br>
<div class="line">２．気まぐれプリンセス</div>
<ol>
<li>これはここ数年でも最強の名曲だと思っています。SEXY BOYや恋はHustleを初めて聴いたときの衝撃に匹敵しました。</li>
<li>どこまでもモーニング娘。らしい曲であると同時に、見たことないモーニング娘。でもある。と、同時に若手ユニットとは異なることをやらねば、というハロプロの遠心力からもろ影響を被ったようにも感じるけど</li>
</ol>
<br>
<div class="line">３．元気ピカッピカッ！</div>
<ol>
<li>底抜けに爽やかなエレポップ。８０年代アイドル好きならツボを直撃でしょうね。ガキさんの発声が進化していることを強く感じます。</li>
<li>この手の曲はベリキューにも名曲があるね。好き好き指数とか、イメージカラーとか。さて、モーニング娘。ならではの魅力は……</li>
<li>間奏のストリングの爽快感やばいっ！超高まる！</li>
<li>歌詞の力強さが、やっぱり娘。らしいなぁ。ベリキューなら「あなたといると楽しい」と歌いそうな曲調で、「夢を諦めるな！」と訴えるのがモーニング娘。流</li>
</ol>
<br>
<div class="line">４．涙ッチ</div>
<ol>
<li>この秀逸なタイトルは何だろう。切なさと明るさが同居している</li>
<li>曲もタイトルに違わず、切なく力強く、同時に明るい。</li>
<li>間奏のラップｗ。ちょっと違和感。いい意味で……なのか？コンサートでやったら客席激しそうですね</li>
</ol>
<br>
<div class="line">５．女が目立ってなぜイケナイ</div>
<ol>
<li>これ、ギターとテクノの融合が格好いい曲ですね。あとサビのドラム</li>
<li>これだから同世代の女性にファンが多くなるのもわかるんですよね</li>
</ol>
<br>
<div class="line">６．大きい瞳</div>
<ol>
<li>真っ先に「打ちやすそう」と思ったオレのバカ</li>
<li>ファミコンゲーム「ロックマン」みたいな曲とか思ったオレのバカ </li>
<li>ボーカルのコンポーズがヤスタカっぽいとか思ったオレの（略</li>
<li>たぶんこの曲はダンスパフォーマンスがつくとめっちゃ見栄えがしそうですね</li>
<li>亀井さんボーカルの跳ね上がりが心地よい。</li>
</ol>
<br>
<div class="line">７．あの日に戻りたい</div>
<ol>
<li>９０年代アイドル好きのツボを直撃でしょうね。ボーカルの奥行きが半端ない。ライブで聴く度に曲が姿を変えそうな予感。</li>
<li>アレンジの作り込みが芸細。ボーカルと相まって厚みが出てますね。下手するとボーカルよりもインストゥルメントが勝ってしまうかも知れない。ライブでは勝負ですね。５期メンバーが曲に勝つか、曲がメンバーの魅力を凌駕するか。</li>
<li>間奏ストリングばっかりだなｗ</li>
<li>愛ちゃん、演じ方をパート毎にがらり変えてきてるね。さすが。</li>
<li>転調が神！</li>
</ol>
<br>
<div class="line">８．なんちゃって恋愛</div>
<ol>
<li>まいかるは、ピアノハウス大好きです。この曲こそ好みの、どストライクをつきます。</li>
<li>小刻みな歌い方が多いですね。リズム感が出てます。だからこそ間奏明けのソロパートのしっとり感が際立つのか。改めて聴いてみると、発見あるもんですね。</li>
</ol>
<br>
<div class="line">９．大阪 美味いねん</div>
<ol>
<li>いや……そこまでリキまなくてもｗ。演芸番組のオープニングみたい</li>
<li>歌唱力の無駄遣い……。いや、いい意味で……。モーニング娘。は伝統的に出し惜しみなしの全力パフォーマンスで、メンバーの魅力を育ててきましたから</li>
</ol>
<br>
<div class="line">１０．Ｌｏｖｉｎｇ ｙｏｕ ｆｏｒｅｖｅｒ</div>
<ol>
<li>前奏の時点で、神曲な予感</li>
<li>すげーいい曲。「恋ｉｎｇ」を超えた気がする。</li>
<li>ソロパートの割方が絶妙で作り手の「ともかくいい曲にしたい」という気合いが感じられます。</li>
<li>間違っても「えるおーぶぃいー」とかコールが入りませんように！！じっくり聴かせてくれこれは……</li>
<li>直球ラブソングバラードも、いいもんですね。</li>
</ol>
<br>
<div class="line">１１．しょうがない夢追い人</div>
<ol>
<li>去年のモーニング娘。の中で一番メロディアスなナンバーと思います。この曲の魅力はなんと言ってもメロディです。</li>
<li>「しょうがない夢追い人」の新しい聴き方。こういうプレイリストを作ります。１、泣き出すかもしれないよ。２、しょうがない夢追い人。３、泣いちゃうかも。そんで、妄想力を全開にして脳内でストーリーをイメージします。泣けます。</li>
<li>ＩＭＥ邪魔！ＡＴＯＫだけで充分だ。お前なんて削除してやる</li>
</ol>
<br>
<div class="line">１２．雨の降らない星では愛せないだろう？（中国語Ｖｅｒ．）</div>
<ol>
<li>中国語しゃべれませんが、歌詞は覚えてしまいました。</li>
<li>こういう曲ができるのだから、国際化した意味があった、と思えるんですよね</li>
<li>歌詞をじっくり聴くと、日本語より微妙に情報量が多い気がする</li>
</ol>
<br>
モーニング娘。ニューアルバム「１０ ＭＹ ＭＥ」全曲感想マラソン終わり。完走！今の娘。ならでは、と言える曲が多かったですね。評判が高いのも納得です。やっぱりアルバムこそグループのらしさを出して欲しいですからね。買って大満足です。
<br>
<Br>
<div class="line">ひとり反省会</div><br>
ここからが感想マラソンの目玉。どんどん曲が流れていくのにせかされていた自分のＴＬを見返すことで「いったい自分は娘。に何を求めているのか」「自分は娘。のどこに魅力を感じているのか」といったことを洗い出していきます。その結果が、次なるブログの材料となる。
<dl><b>反省会結果</b>
 <dt>歌詞に関するつぶやき
  <dd>モーニング娘。らしい歌詞とは「スケールのでかさ」である<br>
 <dd>　
 <dt>歌い方に関するつぶやき
  <dd>深みや奥行き、そういう「音程」以外の表現力が魅力的
  <dd>亀井さんの跳ね上がり音は心地よい（これはガキモニでは語るまい）
 <dd>　
 <dt>音源に関するつぶやき
  <dd>アイドルだけあって実に多彩な楽器が活用されている。
　<dd>オレはピアノ・ストリングスが好き。じゃあDAISHI DANCEでも聴いて落ち着けオレ。（これもガキモニのネタとはなるまい）
 <dd>　
 <dt>パートに関するつぶやき
  <dd>パート分けも歌の完成度に直結しており、単なる「推され」「干され」では語り尽くせない。そういう語り口はもういい。
　<dd>従って、「ガキさんパート増えた、万歳！！」もここではあんまり語る必要ない。
 <dd>　
 <dt>マーボー豆腐
　<dd>早く拭かないとシミが残る。<br>
 <dd>　
 <dt>「ライブでは……」というつぶやき
  <dd>どう聴くか、だけでなく、どうノルかも重要
　<dd>コンサートでの各曲の見所とか
 <dd>　
 <dt>中国語ｖｅｒ.
　<dd>国際化したモーニング娘。という存在について、今一度考えてみたい。
 <dd>　
 <dt>あの日に戻りたい
　<dd>メンバーの歌い込みも半端ねぇけど、曲の作り込みも非常に丁寧。２つがぶつかり合うダイナミズムをライブでは堪能したい。「ガキモニ」ですから特にガキさんの歌声が曲に負けるか勝つか。勝つとしたらそれはガキさんのどんな魅力か。
 <dd>　
 <dt>ＩＭＥ
　<dd>「コントロールパネル」→「地域と言語オプション」→「テキストサービスと入力言語」→「詳細設定」→「削除」
 <dd>　
 <dt>「しょうがない夢追い人」の新しい聴き方
　<dd>プレイリストでストーリーをつなげる遊び。昔の「ジャンプ放送局」みたいなノリでも。プレイリストいっぱい考案して記事にしたら面白いかも。
</dl>

記事に膨らませそうなネタがいっぱいできました。来月はたくさん更新できそうです（自分でハードル上げるな；汗）
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51667732.html">
<title>程度問題が程度問題でなくなるとき</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51667732.html</link>
<description>最初に……

これは、とっても個人的な問題です。読む人にとって何の関係もないかも知れない問題です。
モーニング娘。のファンクラブイベントには、幸いにして名古屋・大阪・東京の３会場、参加することができました。だけど、なんだか自分の中で完全に納得できていない部分...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-03-13T08:46:20+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[最初に……<br>
<br>
これは、とっても個人的な問題です。読む人にとって何の関係もないかも知れない問題です。<br>
モーニング娘。のファンクラブイベントには、幸いにして名古屋・大阪・東京の３会場、参加することができました。だけど、なんだか自分の中で完全に納得できていない部分が残るというか……いや、イベントはいいんですけど、自分の応援の仕方が……、って握手なんですけど、……もっと、ガキさんが励みにしてくれるようなこと言えばよかったな……と、そういうのを、いつもの世迷い毎に乗せてお送りします。<br>
<br>
本当、読む方には何の関係もない、個人的な思いに過ぎない。<br>
<br>
<div class="line">東海道新幹線</div><br>
東海道新幹線の“のぞみ”が１時間に４本以上走るようになって結構経ちますが、自分の新幹線に対する考え方を大きく変えるような自体であったと思います。それまで新幹線というのは、時刻表を調べ、切符を予約などして、事前に万全の準備をして乗る物だと思っていました。でも今の“のぞみ”は本数がものすごく多い。地元の路線よりも頻繁に走っている。このことは自分の中で、新幹線を「旅行手段」から「移動手段」へと変えた。とりあえず東京駅に行って、電光掲示板に示された中で、一番早そうな、よさそうな列車を選んで飛び乗る。そこに「旅行」の要素はほとんどない。旅行する感覚というよりは、ほとんどエレベーターに乗るような感覚だ。頻度が１時間に２本だったらこうはならない。１時間に４本を超すと、列車に対する感受性ががらりと姿を変える。そこには「単に増えただけ」では言い表せない、経験の変容がある。<br>
<br>
<div class="line">それは程度問題ではない</div><br>
こういうのは、新幹線だけではありません。程度が一定量を超えてしまうと、途端に私たちの経験が、がらりと姿を変えて、全く別の経験になるということがある。事実がどうか、の問題ではなくて、私たちの感じ方がどうか、という問題。哲学で言えば現象学の問題だ。<br>
水を加熱すると、とりあえず熱した分だけ水温が上昇する。それが沸点に達した途端、温度上昇とは全く別の「気化」という現象が立ち現れてくる。一定ラインを超えたとき、それまでとは全く異なる変化が起る。そういう部分を臨界点と呼ぶらしい。<br>
<br>
<div class="line">機会が増加しただけではない</div><br>
モーニング娘。と年に何度も握手をするチャンスがあるというのは、ファンの経験をがらりと変えてしまっているかも知れない。<br>
実際の参戦回数の問題ではない。「頑張ってお金貯めれば握手できるかも」と、つい考えてしまう機会が劇的に増えた、という話である。<br>
<br>
<div class="line">ペッパー警部のイベント</div><br>
３年前「メンバーと握手できるかも」と考えてしまうような機会は、あっても年に数回だった。だから自分が３年前、ハワイツアーに参加したときは、最初で最後のつもりで慎重に言葉を選んだものだった。<br>
「女に幸あれ」のイベントにガキさんがいなかったこととも関係あるのでしょうが、自分はつい最近まで「ＣＤイベントというのは特別なチャンスであって、毎度あることではない」と考えていました。その意識が大きく変わったのが、だから「ペッパー警部」のイベントでした。あのとき、僕の様子を見ていた人は覚えているかもしれないけれど、何か変でした。ガキさんの誕生日が近くて、気合いを入れすぎて３回とも参加のチャンスが得られたのだけれど、「ガキさんと直接言葉を交わす機会が日に３度ある」なんて、これまでの自分の中では完全に想定外の事態でした。それは単にチャンスが増した、というだけの話ではなかった。<br>
<br>
<div class="line">なんちゃって恋愛のイベント</div><br>
そんなに頻繁に握手ができるものならば、メンバーに直接何か、励みにしてもらえるような何かを言えるのではないか、そう思いついてしまったとき（いや、知ってはいたけど実感なかった）「握手」という経験が姿を変えた。もう一つ「なんちゃって恋愛」では、またしても程度問題とは呼べないレベルでチャンスがあり、臨界点を超えた。「握手」の意味が変わった。そのときの混乱ぶりは、ここでも読むことができる。（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51572485.html">握手考</a>）<br>
<br>
<div class="line">初心と改心</div><br>
そんなとき「初心を忘れてはいけない」と自分を戒めることもあるんです。機会が多いと、どうしても相手のレスポンスとか、「自分のこと覚えてくれているかな？」とか、応援とは別の部分が気になり出してしまうから。だから「初心」は大切だ。けれど、ＣＤリリースの度に握手のチャンスがある現在、「初心」は手の届かない遠い世界のものとなってしまったのかも知れない。もちろん「行かなきゃいい」ということでもなくて、「頑張れば握手できるかも」と意識にのぼる、そのことが問題だ。イベントを減らしたところで「初心」は帰って来やしない。<br>
「新幹線に旅らしさがない」などと批判したところで、新幹線を活用することにはつながらない（それはそれで結構だが）。やはり、新しくなった握手経験には、新しい応援論が必要なのではないか。メンバーと応援者との距離感を計り直すための発想が求められるのではないか。必要なのは「初心」とは異なる「改心」。改めて自分の応援の在り方を、アイドルとの関わり方を見直すことだ。<br>
<br>
<div class="line">インタラクティビティ</div><br>
モーニング娘。とは別のアイドルを専門としている人ならば「毎日握手なんて、とっくに経験している」と鼻で笑うかも知れませんが、昔はそういう人たちも「ＴＶに出ている人と毎日話している」ということをまるで特権かのように語っていました（少なくとも１０年前、「チェキっ娘」にいた人々はそういう感覚を楽しんでいた）。今は「ふらっと握手してきちゃった」とまるで１００円ショップに寄ったみたいな言い方をする人が多いです。きっとモーニング娘。ローカルの問題ではなく、アイドルというソーシャルな変化なのだと、直感しているのですが。<br>
現代アイドルは双方向コミュニケーションの場となっている。いま女性アイドルで最も動員の多いであろうPerfumeは横浜アリーナの大会場でも、観客を、きっちり個人指名でいじってくる。<br>
「見る」アイドルから「関わる」アイドルへ。アイドルは音楽でも娯楽でもなく、一種のネットワーキング、一種のコミュニティと呼べるような形になってきているのではないでしょうか。メンバーと、作り手と、ファンとがゆるくつながりあうネットワーキングへ。<br>
客席で暴れるだけが応援ではない。より前へ出よう。より多く目立とう。よりまぶしく光らせよう。より長く握手で粘ろう……、これらはもう古い。双方向の対話で、相手が興味ないことを延々しゃべり続ける人がいますが、それでは一方的な独り言に過ぎない。応援すればアイドルがより元気に、アイドルが元気なら応援も盛大に。アイドルが示してくる反応をよく見ながら（個人的にレスをもらう、という意味ではなく）、そのアイドルに一番合った形の応援ができればいい。今、春ツアーに対する自分なりの目標をそこに設定してみました。もちろん、個人的な話に過ぎないけれど。<br>

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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51660838.html">
<title>さゆみん批判に出くわしたら　－嫌悪の力－</title>
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<description>さゆみんのＴＶ出演の機会が増えてきた、ちょうどその頃から、彼女に対する批判の声も多く耳にするようになりました。職場で、電車で、お好み焼き屋で、そういうことをしゃべっている声が聞こえてくる。「モー娘。のあいつ、ウザくね？」「言うほどかわいくもないよね」みた...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-02-24T21:35:03+09:00</dc:date>
<dc:subject>アイドル史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[さゆみんのＴＶ出演の機会が増えてきた、ちょうどその頃から、彼女に対する批判の声も多く耳にするようになりました。職場で、電車で、お好み焼き屋で、そういうことをしゃべっている声が聞こえてくる。「モー娘。のあいつ、ウザくね？」「言うほどかわいくもないよね」みたいな感じです。まあ、言っている人が他人だった場合は反論しようもないですが、わざわざ私に向けて（娘。ファンであることを知りながら）そういうことを言ってくる無神経な人も中にはいる。ま、「悪口言われるも有名人の特権」と聞き流す、というのもひとつですが、せっかく娘。に興味を持ってくれているのだから（たとえそれがマイナス感情であっても）これを機会にモーニング娘。の面白さを宣伝してしまいましょう。<br>
<br>
「そこがいいんじゃん！」、と……<br>
<br>
<div class="line">００年代アイドルの２つの象徴</div><br>
もう００年代ではなくなりましたが、私が００年代で特に印象に残っているアイドルといえば２つあって「ミニモニ。」と「ヘキサゴン」です。ミニモニ。は背の低さを個性にしていた矢口さんが中心となって結成。彼女たちは頭部に目立つ飾りをつけて頭をでかく見せ、その分身体を小さく見せています。あえて「ちっちゃい」を強調し、強烈な個性で日本を魅了した。<br>
ヘキサゴンでは、事前テストで決定された「おバカ」をいじりながら番組を盛り上げていきますが、番組最後に行われる早押しクイズは「おバカ」が１問は解答しない限りゲームが終わりません。最後は「頑張れ！頑張って答えろ！」と、気づくと全員で「おバカ」を応援している。そのとき視聴者は無意識のうちに彼女ら（彼ら）を推しています。<br>
<br>
<div class="line">マイナス要素をプラスに転じる</div><br>
２つのアイドルのポイントは、欠点を隠すのではなく逆に大々的に宣伝した、という点です。まあ、こういうやり方は芸人の方なんかがものすごく上手ですよね。彼らの手にかかれば「キモい」も「ウザい」もいつの間にか褒め言葉に転じてしまっています。欠点を克服してプラスを目指すのではなく、開き直ってマイナス価値を堂々と表に出す。そうやって人々の嫌悪感をかき立てるのです。なぜかは知らないが、嫌悪には人の心の構造を変化させる作用があるらしい。そのうち「あのおバカな子って実はかわいくない？」と１人が言い出し、だんだんシンパが増えていって、やがてバカの良さを理解できない人の方が意地張ってるみたいになってくる。こうなると、もうアイドルの勝利です。<br>
<br>
<div class="line">あえて強調してみよう。</div><br>
さゆみんの魅力は、ファンでさえ疲れさせるその勘違いっぷりです。もし「言うほどかわいくないよね」と言ってくる人がいたならば「だから面白いんじゃん！」と言ってみよう。「考えてもみなよ。本物の美人が『この人私に嫉妬してるんです』なんてやってたら不愉快で仕方ないよ。言うほどかわいくない、くらいの女の子がそれを言うから楽しいんじゃん！」。こちらがファンと知って「ウザい」と言ってくる相手に「いや、そんなことはない。かわいいんだ！」などと言っても、「物好きだね」と言われるのが関の山。なら、開き直って彼女のマイナス面を、そのウザさを堂々と褒め称えてしまいましょう。そのとき相手に刻まれた嫌悪感は、きっと次にさゆみんを見る目を変える。見る目が変われば「ん？かわいいかも」に転ずる可能性も生まれる。それが私の考える「嫌悪の力」です。<br>

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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51658298.html">
<title>「女が目立ってなぜイケナイ」振り付けを攻略</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51658298.html</link>
<description>新曲「女が目立ってなぜイケナイ」ですが、パーカッションとギターがかなり格好いい感じです。聞き込めば聞き込むほど、ワクワクしてきます。格好いいダンスも見所で、これは同世代の人たちは憧れるんじゃないでしょうか。もっともっと、いろんな人に見て欲しいです。さて…...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-02-18T21:46:48+09:00</dc:date>
<dc:subject>振り真似</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[新曲「女が目立ってなぜイケナイ」ですが、パーカッションとギターがかなり格好いい感じです。聞き込めば聞き込むほど、ワクワクしてきます。格好いいダンスも見所で、これは同世代の人たちは憧れるんじゃないでしょうか。もっともっと、いろんな人に見て欲しいです。さて……<br>
<br>
<div class="line">脚の動きとか</div><br>
「気まぐれプリンセス」は上半身でバランスを取りながら踊っている感じでしたが、今回は脚の動きができれば攻略が早そうです。<br>
<ol><br>
<li>前奏：左足から。サビ：右足から。</li><li>重心移動は脚を引いて行う原則。全体的に脚を引くアクションが多い</li><li>間奏で腕をぐるんと回すとこ、後ろ足が後方にぴょん、って跳ねる。真似すると楽しい</li><li>最後のジャ・ジャ・ジャン♪：２つめで体重を後ろ足に乗せてる。ここにも後ろ脚の原則</li></ol><br>
あ、音楽戦士の映像資料は下なめの画が多く、脚を追うのに適していました。<br>
<br>
<div class="line">上半身の動きとか</div><br>
<ol><br>
<li>サビで手をくるくるさせるとき、回している手以外上半身はリラックスさせる。そうすることで自然と脚でリズムになり、姿勢もおかしくならない。</li><li>リラックスするためにはメンバーの表情を真似ると良い。楽しんでやっている</li><li>ターンは身体の向きを変えるというよりは背中の向きを変える感じ。</li><li>背中の形を意識しながら踊ってみる。背中で演じる。</li><li>久住さん卒業の影響？、ガキさんのボーカルパートが多くなっている。</li><li>ボーカルアクション多めなため、動きはパターン化しにくい。とくにＢメロ</li></ol><br>
<br>
<div class="line">リラックス</div><br>
蛇足なんですが、最近ヨガをやっています。なかなかきついエクササイズなんですが、基本は下半身で身体を支えて上半身はリラックスして深呼吸、という感じで動きます（身体が４５度傾いた状態で「リラックスっ！」とか言われます；でも、そういう目線でメンバーを見てみると、上手いコは余分な力が入っていませんですね。<br>
<br>
実は姉妹サイトの「えりりんモーニング」さんに「いい年したおっさんが笑顔で踊ってたら（メンバーが）引く（？）」という問題意識が上がっていて（<a href="http://erimoni.blog84.fc2.com/blog-entry-85.html">ノノ*＾ー＾)ノ＜参戦スタイルぅ～</a>）、振り真似大好きなまいかるとしては人ごとではありませんでした。で、ガキモニはガキモニなりの考察なんですが……<br>
<br>
楽しませようとパフォーマンスしていて、客が楽しんでいても普通は引かない（見てくれはどうであれ）。自分も仕事で人前に立つ機会ありますけど、自分の話でよろこんでくれたら（それが気持ち悪いおっさんであっても）うれしいですよ。だって狙った通りに相手が笑ってくれているんだから。ではもし、メンバーが引くとしたら？……それは、例えばメンバーの誰よりもオーバーに踊っている、て場合にはひょっとしたら「いや、そこまでやんなくてもいいのに……」と思うでしょうね。だから、きちんと覚えて、現場では必要のないところの力を抜いて踊ればいいんです。心に余裕ができますから、周囲に迷惑をかけていないかにも、気づくことができます。もし「落ち着いてたら応援にならない」なんて言うのなら、そもそも「いい年したおっさんが……」ていう批判はなしでしょう。そういう人には「じゃあ、あなたの考える理想の応援スタイルはなんですか？」と逆に聴いてみてはどうでしょうか。どういう応援が適切なのかを考えずに、「踊りは気持ち悪い」「コールはうるさい」とか言われてもねえ。「適切、適度ってどの辺を想定していますか？」と問うてあげればいい。もしも上司がオフィスで踊っていたら、確かに気持ち悪いけど、同じ上司がカラオケで踊っていたら、あんまり気持ち悪くないです。それはオフィスで踊るのは不適切だからであり、カラオケで盛り上がった人が踊り出すのは、別に不適切じゃないからです。コンサート会場で何が適切なのか？という問題は、追っかけが常に問い続けるべきだとは思いますが、そういうの考えずに印象だけで人を揶揄するような声には、耳を貸さなくてもいいんじゃないですか？<br>
<br>
……蛇足長っ！（；汗）<br>
<br>
<div class="line">Twitter始めました</div><br>
このブログのサイドバーに、私のつぶやきが流れる仕組みになっています。ダンスを見ながら発見したことを忘れる前につぶやく。あとでタイムラインを見返して、記事をつくる。という、本記事はこれまでの執筆とはまた違った過程で書きました。始めてみるまでは「１人ごと公開して何がおもろいねんっ」と思っていましたが、いやー、気にせず思いつきを垂れ流せるというのは楽しいですね。ブログだとまとまった考えがないと記事にしようと思わない。思いつきでも、大した内容にならなければ捨ててしまっていたのですが、ｔｗｉｔｔｅｒでは記事になるかならないか、とにかく思いついたアイデアをがんがんつぶやいています。アイデアにレスがついたりすると考えが深まってなお楽し！<br>
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フォローいただけると大喜びします。<br>
<a href="http://twitter.com/maical22">http://twitter.com/maical22</a>
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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51653899.html">
<title>よみうりEAST LIVEのガキさんが熱い　－ホールのアフォーダンス－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51653899.html</link>
<description>先日、名古屋のファンクラブイベントの帰りに「よみうりのガキさんがすごい」という話題で盛り上がりました。ＤＶＤ「モーニング娘。よみうりランドＥＡＳＴ ＬＩＶＥ２００９」のことです。このライブ中、ガキさんのアクションがいつも以上に激しい感じでした。手の振りも大...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-02-08T22:15:08+09:00</dc:date>
<dc:subject>現場</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[先日、名古屋のファンクラブイベントの帰りに「よみうりのガキさんがすごい」という話題で盛り上がりました。ＤＶＤ「モーニング娘。よみうりランドＥＡＳＴ ＬＩＶＥ２００９」のことです。このライブ中、ガキさんのアクションがいつも以上に激しい感じでした。手の振りも大きく、ぴょんぴょんはねているし、場面によってはガキさん１人が浮いて見えるほど、それはすごかったです。<br>
<br>
<div class="line">アフォーダンス理論</div><br>
たとえば、風呂場で歌うと気分が良いですが、そのとき大声を張り上げて一生懸命歌う人はいないでしょう。タイル張りの浴室内で大声なんて出しては響きすぎて困ってしまいます。お風呂には力を抜いて、響きを楽しむように歌う歌い方がふさわしい。しかし、同じ人でもホールのステージで歌うとなったら力を込めて歌うし、誰もいない大平原で歌うとなれば、空に向けて全力で叫びあげたくなることでしょう。つまり、場が私たちの行為を左右している、ということだと思います。風呂場のタイルは、私たちにリラックスして歌うことを提案してくる。ホールは力を込めて歌うことを提案し、青空の大平原は私たちに叫ぶことを提案してくる。こういうのを生態心理学の用語で「アフォーダンス」と言います。「浴室のタイルはそっと歌うことをアフォードする」みたいな使い方をします。<br>
<br>
<div class="line">歌手から壁までの距離</div><br>
アフォーダンス理論を提唱したのはギブソンという学者です。アフォーダンスの説明でよく出てくる実験に「柵をまたぐか？それともくぐるか？」というものがあります。人に柵を見せて「あなたならどうしますか？」と聞きます。そしたら、人は自分の脚の１．０７倍の高さまでの柵を「またぐ」と答え、それ以上になると「くぐる」と答える、という結果が出ました。１．０７倍までのハードルは人に「くぐる」ことを提案（アフォード）する。この理屈は、さっき述べた壁と歌い方の話にも当てはまるでしょう。すぐ近くに、音の反響しそうな壁があれば囁く。遙か遠くに防音壁があれば、大声を出す。野外であれば叫ぶ。壁までの距離が、歌手に対してそういった情報をアフォードしてくるわけです。<br>
<br>
<div class="line">会場がガキさんのノリを決定する</div><br>
ステージ上のガキさんは、壁までの距離が遠ければ遠いほど、自分を大きく放出させようとする。よく晴れたよみうりＥＡＳＴの野外ステージは、ガキさんのため込んだエネルギーをぶつけるにふさわしい舞台だったわけです。<br>
　……えっと、要するになんてことはない。「野外でガキさんのテンションが高かった」ってだけの話なんですが、そのためにアフォーダンス理論を持ち出したのは、このガキさんのハイテンションが示唆的だなあ、と感じたからです。どういうことかというと、歌手の歌い方とか声量とかっていうのは、会場のたたずまいによって規定されている部分が大きいのではないか、と思ったわけです。<br>
　私たちは、いつもよりご機嫌なメンバーを見ると、「お、何かいいことあったのかな？」と思ったりします。だいたい、メンバーの心理的要因と考えることが多いですね。内面の微妙な変化がパフォーマンスとして身体上にのぼってきている、と考えます。でも、会場が広いから力強くなった。会場が小さいから繊細な演出に意識が向いた。そういう風に、会場の持っているアフォーダンスを歌手が読み取って、身体反応を示した、と考えることもできるのではないか、と思います。<br>
<br>
<div class="line">距離、高さ、肌理</div><br>
ステージから後方の壁までどのくらい距離があるか？床から天井までどのくらい空間が開けているか？壁の肌理は？そういう無数の情報の中で、適切な身体反応を探りながら、その日のパフォーマンスが決定していく。壁がものすごく近かったら、大声をぶつけようとは思わない。逆に空間が広ければ、あるいは壁がいかにも吸音しそうな肌理をしていたら、小さく繊細な歌い方をしようとは、あんまり思わない。<br>
　歌だけの話じゃなくて、ダンスにも影響するでしょう。私たちは踊るとき、周囲の表面（壁とか天井とか床とか）を視界に入れながら自分の位置を把握しています。だから、例えばさいたまスーパーアリーナのセンターステージを想像してください。四方からまぶしいアップライトが照らしていて、何も見えない。この状態で空中で身をひねったり、片足でポーズを決めたりするのは、かなり怖いですよ。バランスを取る参考が何も見えないわけですから。壁が見える場合と、見えない場合とではダンスの安定感に大きな違いがあります。背泳ぎをするとコースが曲がってしまう人でも、天井の模様（肌理）が見えてるならまっすぐ泳げるでしょう。反対に、片足立ちが得意な人でも目を閉じると途端にふらついてしまいます。ステージから見えている壁は、そこに存在するだけでダンサーを支えているし、会場の空気感はそれ自体が演出に直結している。会場のミディアム（空気、温度、湿度）が歌手を包んでいる。会場のサーフィス（壁、床、天井）が歌手を支えている。<br>
<br>
<div class="line">歌手は会場と対話をしながら歌う</div><br>
与えられている無数のアフォーダンスの中から、歌手は自分の経験に照らし合わせてふさわしい情報をピックアップし身体反応を示してくる。どのくらいの声量で、どのくらいの規模のアクションで……。身体は会場と対話しながら、そうしてパフォーマンスが決定されていく。<br>
　よく「モーニング娘。の追っかけをしている」というと「同じ内容のコンサートに、そんなに何度も入っていったい何が楽しいのか」と首をかしげられますが、何も疑問はない。答えは「会場が違うから」です。「会場が変わればパフォーマンスも変わるから」です。これが講演会とかなら、会場によってそう変わることはないでしょう。大切なのは話の内容ですから。教室で聴こうが、ホールで聴こうが、衛星中継を通じて聴こうが、話が正しく理解できればどこで聴いても似たようなものです。しかし、追っかけはコンサートの内容を見ているのではない。それをパフォーマンスに乗せるメンバーが見たい。メンバーがどんな気合いで、どんなテンションで、どんな気分で歌い、踊っているのか、それを知りたい。そう思うから何度もコンサートに足を運んでいる。曲に惚れたわけじゃなく、モーニング娘。に惚れているんだから、どの会場でも同じだなんてことは決してありません。<br>
<br>
<div class="line">箱の数だけ娘。がある</div><br>
コンサートツアーで回る会場の数だけ、違った在り方のモーニング娘。がある。次に行くあの会場で、ガキさんは会場をどう受け止め、どう解釈し、どう楽しむのだろう。それを僕は客席からどうやって知ることができるだろう。ブログや日記で「今日のガキさんはこうだった」と感想を言うだけであっても、それがかけがえのないその日の記憶となって、ガキさんの活動記録に、モーニング娘。の歴史に積み重ねられていくんじゃないかな、と思います。ＤＶＤに残らない、様々の価値を目撃したくて、今日も追っかけは参戦準備に勤しむ。<br>
<br>
<object width="360" height="337"><param name="movie" value="http://www.dohhhup.com/embed/embed.swf?uid=1439&path=1fZs0vxZjebR2K055k7dxjDxxxy1qEf3"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.dohhhup.com/embed/embed.swf?uid=1439&path=1fZs0vxZjebR2K055k7dxjDxxxy1qEf3" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="360" height="337"></embed></object>
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<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51652058.html">
<title>このメンバーが踊りやすい！（モベキマス編）</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51652058.html</link>
<description>モベキマスを見ながら、またいろいろなＤＶＤを見ながら「このコはダンスを真似しやすそうだ」とか「このコをいくら見ても覚えられそうにない」とか、いろいろと感じます。
ハロプロのコンサートでは、それぞれのユニットに見せ場があり、踊って楽しい曲というのがあるんです...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2010-02-04T21:47:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>振り真似</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[モベキマスを見ながら、またいろいろなＤＶＤを見ながら「このコはダンスを真似しやすそうだ」とか「このコをいくら見ても覚えられそうにない」とか、いろいろと感じます。<br>
ハロプロのコンサートでは、それぞれのユニットに見せ場があり、踊って楽しい曲というのがあるんですが、やっぱり振り付けは覚えた方が楽しい！じゃあ、誰を見て覚えるのが近道なのか……ということを、考えて見ました（暇人）<br>
<br>
<br>
<div class="line">基準</div><br>
基準といってもダンスが上手いかどうかの基準ではなく、あくまで踊りやすいかどうか、の基準です。例えば、℃－ｕｔｅの鈴木愛理さんはダンス上手でしょう。けれど彼女はボーカルパートが多く、動きをパターン化して覚えるのに時間がかかってしまいます。基本、メインボーカルを担当するメンバーは（どんなにダンスが上手でも）振り付けを真似るには不向きです。<br>
さて、真似やすさの基準には次の３点を考慮すると便利かと思います。<br>
<br>
<b>真似やすさの基準</b><br>
<ol><br>
 <li>リズム感があること</li><br>
 <li>瞬発力があること</li><br>
 <li>歌割が少ないこと</li><br>
</ol><br>
<br>
ようするにタメやフライングなく（リズム感）、小振りすぎたり大げさすぎたりせず（瞬発力……動きを適切なところで止める力も含めて考えてます）、そしてあまり歌パートを持たない（歌割）、そういうメンバーを探していけば、踊りは覚えやすいはずです。<br>
<br>
<br>
<div class="line">モーニング娘。</div><br>
☆ジュンジュン<br>
<br>
モーニング娘。は、年上メンバーが多いためか、自己アピールに優れたメンバーが多いわけですが、そのことで、かえって正確なリズムが刻まれにくい、という真似づらさが生じているように思います。新垣さんのタメはリズムが狂うし、亀井さんのオーバーアクションでは力加減がわかりにくい。見る分にはいいんですが、真似るとなると、こういったところは難易度が高いです。<br>
そんな中、基本に忠実なジュンジュンは非常に動きの見やすいメンバーと言えるでしょう。背丈もあるため遠くの席から追いやすい点もグッド、運動神経も充分です。<br>
<br>
<div class="line">Ｂｅｒｒｙｚ工房</div><br>
☆清水佐紀<br>
<br>
リズム感、歌割りの少なさ、全てにおいて理想的。実にヲドリスト・フレンドリーなメンバーです。特筆すべきは彼女の瞬発力で、ほとんどの曲でリズムを持て余すほどキビキビとした動きは追っていて本当に気持ちが良い。他のメンバーを追っているときとは比較にならないスピード感を覚えます。<br>
<br>
<div class="line">℃－ｕｔｅ</div><br>
……、実は℃－ｕｔｅは５人になってからというもの、覚えやすいメンバー探しに一番苦労するユニットとなってしまいました。<br>
<br>
<br>
ブレーキの足りない中島さん。<br>
<br>
<br>
<font size="3">アクセルの足りない萩原さん。</font><br>
<br>
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<font size="4">バランスの足りない岡井さん。</font><br>
<br>
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<font size="5">歌ってばかりの鈴木さん。</font><br>
<br>
<br>
……ってことで消去法で<br>
<br>
<br>
☆矢島舞美<br>
<br>
<br>
いや、彼女も歌割り多めなんですけどね。<br>
蛇足ですが、こうやって考えて見るとモーニング娘。の田中れいなさんヲタってすごいですね。ブレーキも足らず、アクセルも足らず、バランスも足らず、ボーカルアクションだけが多いんですから。これで覚えろっても、厳しいよなぁ……ｗ。<br>
<br>
<br>
【裏技】<br>
℃－ｕｔｅは動きを追いやすい２人がともにメインボーカルを担当している、という点に難しさがあります。そこで、ダンスを早く覚えたい場合には矢島、鈴木の２人を視界内にロックオンしておき、歌っていない方を見ながら踊る、という手が有効です。これをするとかなり早く振りをパターン化して覚えることができます。…「Forever Love」はどうしようもありません；汗<br>
<br>
<div class="line">スマイレージ</div><br>
☆前田優佳<br>
<br>
スマイレージは４人のうち誰を見ても、大きな問題はなさそうです。和田さん、ああ見えてサクサク動くし。また、振り付け自体もパターン化しやすいため踊りの苦手な片でも、スマイレージはやってみると楽しいと思います。やるなら元気よく！<br>
<br>
<div class="line">真野恵里菜</div><br>
☆真野恵里菜<br>
<br>
そりゃ……。<br>
<br>
<br>
<br>
彼女はとっても楽しそうに踊るので、真似している方まで楽しくなってきます。こういうメンバーを追っているのは本当に楽しいですね。<br>
<br>
<div class="line">このメンバーが踊りやすい！大賞</div><br>
☆清水佐紀<br>
<br>
ユニットとしてもBerryz工房の曲は、特徴的なアクションが多く、文句なしに最強に覚えやすいメンバーだと思います。次点でジュンジュンかな？<br>
<br>
<div class="line">特徴さえつかめば覚えやすいメンバーも</div><br>
千奈美に、僕が最も動きを追いやすいメンバーはというと須藤さんです。７年間見ていて、準備動作のようなものまでなんかわかるので、「あ、次右を向きそうだ」とか「跳びそうだ」とか、事前に予測できるようになりました。そういうメンバーごとの特徴さえつかめば覚えやすいメンバーもいるようです。中には嗣永さんのオーバーアクションも、何をしたいかよくわかって覚えやすい、と感じる人もいるようですし。<br>
自分の追っかけているメンバーの特徴をよく押さえて、楽しく踊れるようになりたいですね。<br>
<br>
<object width="360" height="337"><param name="movie" value="http://www.dohhhup.com/embed/embed.swf?uid=1360&path=PSpmiJ6mYpAk866Fubk9pezuKwHTUQ1B"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.dohhhup.com/embed/embed.swf?uid=1360&path=PSpmiJ6mYpAk866Fubk9pezuKwHTUQ1B" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="360" height="337"></embed></object>
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51622461.html">
<title>「歌う」と「育つ」の機能分化　－２００５年がアイドルにもたらしたもの－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51622461.html</link>
<description>曲の価値とメンバーの価値が混ざらない新人公演
「２００８ ハロー！プロジェクト新人公演９月～芝公園ＳＴＥＰ！～」のセットリストの中に「十七の夏」がありました。まだＳｍｉｌｅａｇｅ結成前の和田彩花さんがソロで、舞台の中央で「十七の夏」を初々しい様子で歌ってい...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2009-12-03T21:05:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>アイドル史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<div class="line">曲の価値とメンバーの価値が混ざらない新人公演</div><br>
「２００８ ハロー！プロジェクト新人公演９月～芝公園ＳＴＥＰ！～」のセットリストの中に「十七の夏」がありました。まだＳｍｉｌｅａｇｅ結成前の和田彩花さんがソロで、舞台の中央で「十七の夏」を初々しい様子で歌っている。和田さんにとって、このオンステージは、後の成長へとつなげたチャンスであったと言えます。ここでは彼女がソロで歌うことにこそ意味があり、「なんで『十七の夏』なの？」などど問うてはいけない場面です。桜田淳子のこの曲をハロプロに持ち込んだのは「２ｎｄ Ｗ」というアルバムでした。「十七の夏」は辻加護のユニット「Ｗ」ファンには思い入れのある曲で、２００６年、正月のハロプロコンサートで歌われたものでした（後にＤＶＤ販売停止になった、アレです）。「Ｗ」の事実上最後のステージで歌われたのが「十七の夏」だったのです。しかし、新人公演で、そんなことを気にしてはいけない。新人公演で歌われる曲の大部分は、元のユニットの歴史とか価値とかからは切り離された、純粋な「楽曲」です。会場が盛り上がれば、メンバーの魅力が伝わるなら、楽曲の出自は問わないことにする。それが新人公演の約束事。そこでは、今や伝説となったＷもミニモニ。もカントリー娘。もなんでも聴ける。エルダークラブが卒業した今、懐かしい名曲が受け継がれる最後の砦、それが新人公演、というわけです。興味深いのは、メンバーと楽曲、両者の視点が完全に閉ざされている点です。メンバーにとっては、自分をアピールするチャンスであり、楽曲はその道具にすぎない。一方、楽曲にとって見れば、曲が後世に歌い継がれるチャンスであり、エッグメンバーは生存機械にすぎない。ここではメンバーが育つ価値と、楽曲が歌われる価値とが切り離されて、完全に機能分化を果たしています。<br>
<br>
<div class="line">アーティストと曲が地続きな９０年代</div><br>
モーニング娘。がデビューしたころは、もっと「歌うこと」がメンバーと密接に関わっていました。「モーニングコーヒーはオリジナルメンバー５人のため曲だ。追加メンバー（２期メンバー）３人はそれを『借りて』ステージにいるのだから、その意味をよく噛みしめなければならない」といった議論が為されるのが当たり前でした。ディスコグラフィーはアーティストの歩んだ歴史そのものであり、カラオケならともかく、他のアーティストが簡単にステージで人の歌を歌ってはならない、という感覚を多くの人が持っていました。ハロプロの原型である「Ｈｅｌｌｏ！」のファーストライブがＤＶＤ化されていますが、その中にメンバーのコメントがたくさん入っているんですね。それを見ると、当時のメンバーが「モーニング娘。が平家みちよのバックコーラスをする意味」とか「今日『未来の扉』を歌える意味」とか、本当に楽曲の意義、歴史を充分に解釈してステージに立っていた様子がよくわかります。当時は、曲のリリースとユニットの成長が同じ意味合いを持っていて、決して切り離すことができませんでした。新曲を「歌うこと」がイコール、グループが「育つこと」だったのです。<br>
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<div class="line">人の曲を歌うなら、その重みを感じろ</div><br>
昔はこんな状況ですから、今みたいにメロン記念日の曲がモーニング娘。のセットリストに入っているなんてことはあり得ませんでした。そんなことあったらメロンファンは黙っちゃいなかったし、モーニング娘。ファンだって文句を言っていたことでしょう。安倍さんのファン（の一部）が「線香花火」や「男友達」を他メンバーに歌って欲しくない、とこだわりを示すのも、この頃の感覚が染みついているからでしょう。ハロプロが全盛期の頃も、楽曲はＣＤを出したアーティストのためのものだ、と考えられていました。もし、他メンバーが歌うのなら「その重みを感じるべきだ」となるわけです。<br>
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<div class="line">ハロプロコンサートでなら……</div><br>
そういった「重み」が比較的気にならない場が正月と夏に行われる「ハロー！プロジェクト」のコンサートでした。ここでなら、カントリー娘。が「ちょこっとＬＯＶＥ」を歌っても「まあ、年に２度のお祭りだから」と見逃されました。しかしそれも、あくまで「今日は特別、許してやる」的な感じでしたから、やっぱり楽曲をユニットやメンバーの歴史と切り離して考える人はほとんどいなかったんですね。<br>
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<div class="line">童謡とフォークソングス　－共有財産としての楽曲－</div><br>
２００１年あたりから、新たな動きが目立つようになります。２００１年冬には「童謡ポップス」シリーズのリリースが始まり、ハロプロメンバーをシャッフルしてつくった臨時ユニットが懐かしの童謡を歌っていきます。コンサートではメンバーを入れ替えて歌ってみたり、全員で合唱したりします。懐かしの童謡ですから、メンバーと楽曲の結びつきは緩く、別のメンバーが歌っても特に違和感はありませんでした。翌年には「フォークソングス」シリーズのリリースが始まり、ソロメンバーを中心に懐かしの昭和歌謡が歌われるようになります。この童謡とフォークソングスの登場によって、「懐かしの曲は共有してもいい」という感覚が広がっていきました。<br>
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<div class="line">ハロプロ自体のノスタルジー</div><br>
２００３年くらいまでには「懐かしい曲はみんなのもの。新しい曲は、ＣＤを出したメンバーのもの」という棲み分けが定着します。ハロー!プロジェクトのコンサートでは、全員の見せ場では童謡を歌い、あとはそれぞれのグループが順番に自分たちのパフォーマンスをする、というのが定番の流れでした。さて、このときすでにハロプロは５年もの歴史を作り上げていました。ファンにとってもはや「サマーナイトタウン」や「ふるさと」は「過去の曲」という認識でした。童謡や昭和歌謡の力を借りなくても懐かしの曲がハロプロ内部にたっぷり蓄えられていたわけです。ついでに、この頃キッズ（今のＢｅｒｒｙｚ工房と℃－ｕｔｅ）には持ち歌がありませんでしたから、彼女たちのパフォーマンスタイムは「ＬＯＶＥマシーン」や「ちょこっとＬＯＶＥ」なんですね。持ち歌のないキッズたちは、その時点ですでに懐かしの共有財産となっていたハロプロの名曲を使ってステージに立っていた。ここに新人公演の原型が見られます。<br>
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ここまでの議論をまとめましょう。まず最初、昔は「曲はメンバーのもの」だった。ハロプロではみんなの見せ場として懐かしの童謡が歌われた。「懐かしい曲はみんなのもの」という感覚が発生した。そうこうしているうちにハロプロの曲が「懐かしい曲」になってしまった。その結果「ハロプロの曲はみんなのもの」という、現在の感覚に結びつくわけです。<br>
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<div class="line">２００５年はノスタルジー祭り</div><br>
「ハロプロの曲はみんなのもの」という感性が一気に噴出したのが２００５年でした。まず正月のコンサート「Ｈａｐｐｙ Ｎｅｗ Ｐｏｗｅｒ」では、メンバーをシャッフルしまくり、「桃色片想い」「恋をしちゃいました」「赤い日記帳」「ちょこっとＬＯＶＥ」と、次々とハロプロの「財産」を歌っていきます。特に「桃色片想い」の冒頭「雅が行くよ！」「紺野が行くよ！」は新聞記事になるほど衝撃的でした。松浦亜弥の歩んだ歴史から完全に切り離された「桃色片想い」が繰り広げられたわけです。３月から始まったモーニング娘。コンサートでは「Ｓｈａｌｌ Ｗｅ Ｌｏｖｅ？」や「Ｇｅｔ ｕｐ！ラッパー」がセットリストに入りました。５月、美勇伝の発単独ライブは、その半数以上が過去の誰かの曲でした。同じく５月、「ハロプロパーティ 松浦亜弥キャプテン公演」では正月と全く同じ「Ｙｅａｈ！めっちゃホリディ」→「ザ☆ピ～ス!」という流れで始まり、なんとＢｅｒｒｙｚ工房のデビュー曲「あなたなしでは生きてゆけない」まで歌われました（リリース後わずか１年でのカバー、しかも先輩メンバーによる、です）。６月、Ｂｅｒｒｙｚ工房の初単独ライブが行われますが、ここにも「Ｙｅａｈ！めっちゃホリディ」と「ザ☆ピ～ス！」がありました。<br>
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前にこのブログで、モーニング娘。史を日本のアイドル史の似姿と言いました（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51553189.html">アイドルのオートポイエーシス</a>）。２００５年、ついに真似るべきアイドルが、ハロプロの登場にまで追いついてしまったのでしょうか。<br>
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<div class="line">機能分化を果たした新世紀アイドル</div><br>
２００５年６月には℃－ｕｔｅがデビューします。℃－ｕｔｅと命名されて初のステージは「安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート」で歌った「ピリリと行こう！」でした。自分たちの曲などなくても、℃－ｕｔｅはハロプロの共有曲を使って、経験を積んでいき、ファンを獲得していきます。その手法はＢｅｒｒｙｚ工房と真逆の、一切メディアに頼らない現場ありきの広告戦略でした（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51373658.html">大衆アイドルからオタクアイドルへ</a>）。２００５年以降、アイドルを取り巻く状況は、それまでとは全く違った方向へ転回していきます。まず「メディア中心から現場中心へ」という転回。そして「大衆のものからオタクのものへ」という転回。そして邦楽の発展と、アイドルの発展が完全に切り離される「機能分化」という転回。２００４年以前は、モーニング娘。の新曲リリースは、Ｊ－ＰＯＰの発展と同義でしたが、２００５年以降、新曲リリースをＪ－ＰＯＰの発展と結びつけて考える人が減っていきます。よろしいですか。より良い曲を「歌うこと」と魅力的なメンバーが「育つこと」は、全く別の位相での出来事となったのです。「歌うこと」と「育つこと」を同時に語ることは絶対にできなくなる。ハロプロでそんな風潮が際だった２００５年、楽曲を共有しながらメンバーが忙しく入れ替わるＡＫＢ４８のデビューがあり、Ｐｅｒｆｕｍｅは機械的な楽曲にメンバーの声が取り込まれたテクノポップを引っ提げてメジャーデビューしました。翌年にはおバカアイドル、Ｐａｂｏがデビューします。「アイドル」という文化現象は「アイドル」それ自体で価値を持つようになり、音楽的価値がいかに低くても、音楽としての目新しさが一つもなくたって、アイドルとして面白ければ、それで人気を得ることができる。こういった状況の中では「かわいらしい女の子」や「成長する少女」や、その他いろいろな価値が生まれる。価値が生まれはするけれど、それは決して音楽としての価値ではない。アイドル価値は楽曲的価値とは一線を画したところに存在するようになります。<br>
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<div class="line">ノスタルジーとの闘い</div><br>
楽曲は楽曲で、生存機械たるメンバーを乗り換えながら後世に残ろうとする。一方メンバーはメンバーで踏み台たる「過去の名曲」を利用して、成長しようとする。最初に述べた新人公演の特徴は、現代のアイドルの状況を実によく映していると言えます。だとしたら、現役メンバーを応援するために、我々がやるべきことは何か。「この曲好きだな」という話が、ともすれば「昔はよかったね」となってしまいがちな中、現役モーニング娘。ファンはそれでも「懐かしさ」以上の「今」を求めつづける必要があるのではないか。楽曲の側からでも、メンバーの側からでも、どちらの視点かをきちんと定めて（２つは混ざらない）、その上で娘。をめぐるノスタルジーと闘い続け、「今」の良さを訴え続ける。つまりはそれが応援なのではないか。音楽史でもない、ハロプロの歴史でもない「今のモーニング娘。にしかできないこと」が確かにある、と思うからです。
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51617537.html">
<title>卒業抑止力の低下</title>
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<description>モーニング娘。はメンバーを何度も何度も入れ替えながらここまで活動を続けています。世間の人々が「もういいよ」とついてこられなくなっても、飽きもせずメンバー変動を繰り返します。その個々にはいろんな事情があるにはあるんですが、個々の事情を無理矢理前向きに見せよ...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2009-11-23T15:42:42+09:00</dc:date>
<dc:subject>オートポイエーシス</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[モーニング娘。はメンバーを何度も何度も入れ替えながらここまで活動を続けています。世間の人々が「もういいよ」とついてこられなくなっても、飽きもせずメンバー変動を繰り返します。その個々にはいろんな事情があるにはあるんですが、個々の事情を無理矢理前向きに見せようとすることに、私は未だに違和感を覚えます（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51588895.html">後ろ向きな卒業論</a>）。卒業の理由とか、卒業にまつわる戦略とか、大人の事情とか、いろいろと考えて見ても、やっぱり卒業というのは基本的に理不尽な出来事なのだと思います。なぜ卒業が起こるのかを「誰かの意志」に還元して語ることには無理があるのではないか。「事務所の方針が…」「メンバーの意志が…」。そういう語り口で卒業を語ること、それ自体に限界があるように思います。今回は、卒業を引き起こす理不尽な力学を、システム論の視点から考えてみます。<br>
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後ろ向きな卒業論者の結論は今回も、誰の救いにもなりません。<br>
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<div class="line">メンバーが変わればモーニング娘。が変わる？</div><br>
小川麻琴さんが加入したての頃、よく「新メンバーが入ってモーニング娘。が変わったね、と言われるような存在になりたい」と話していました。もちろん、メンバーが変われば必然的にグループの在り方は変わる。それが加入か卒業かは、ここでは問いません。また、グループの在り方が良い方向に変わるか、悪い方向に変わるか、それもこのさい問題にしません。ただプラスかマイナスかはともかく「メンバーが変わればモーニング娘。が変わる」。誰もがモーニング娘。をそういうものとしてとらえているはずです。「あのコが卒業して、どう変わったか」「新メンバーが入ってどう変わったか」そういう議題に、ファンはとても神経質です。「メンバーが変わればモーニング娘。が変わる」。それはいいでしょう。たぶん、その認識は正しい。それならば、逆方向の因果関係も考えてみていいのではないでしょうか。すなわち「モーニング娘。が変わるから、メンバーが変わる」。<br>
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<div class="line">卒業させる力、止める力</div><br>
なぜ卒業しちゃうのか。「誰の意志かは問わない」ことに気をつけた上で、この疑問に答えるとすれば、たぶんこうなります。「卒業させる力が、卒業を止める力より強いと、そのコは卒業する」。「卒業させる力」は「ソロでやってみよう」とか「もうこのグループにはいれられない」とか「あのメンバーそろそろ卒業させよう」とか、何でもいいです（誰の意志かは問わない、ですから）。で、「卒業を止める力」というのは「残って頑張りたい」とか「このコはモーニング娘。に必要だ」とか「辞めないで欲しい」とか、こちらもいろんな人の意志が合わさったものと考えます。で、「卒業させる力」についてはこれまでもよく考えられてきた。「このコの将来のため」「グループの存続のため」とか、いろいろなトーンで、何が彼女を卒業させたのか、が語られてきた。しかし「卒業を止める力」については、たぶんあんまり語って来なかったと思います。もちろん卒業しようという意志・させようという意志が強いからメンバーは卒業していきます。しかし、逆から見れば、卒業を止めようという力が弱い時に、メンバーは卒業する、とも言えるはずです。<br>
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<div class="line">歌うことの連鎖</div><br>
このブログでは、モーニング娘。システムを「歌うこと」の連鎖的自己創出と考えています（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51553189.html">アイドルのオートポイエーシス</a>）。モーニング娘。は、まず?女として切なさ、?少女の青春を歌い、?記号的恋愛を謳歌し、?主体的な存在となる。この?→?の流れはちょうど１ｓｔアルバムから４ｔｈアルバムのテーマと対応します。女としての切なさ（ファーストタイム）、少女の青春（セカンドモーニング）、記号的恋愛（３ｒｄ－ＬＯＶＥパラダイス－）、主体的な女の子（４ｔｈ「いきまっしょい！」）。これは日本のアイドル史の似姿でもあります。女としての切なさ（山口百恵）、少女の青春（松田聖子）、記号的恋愛（おにゃん子クラブ）、主体的少女（安室奈美恵）。デビューからわずか３年で、モーニング娘。はアイドルのエッセンスを全て網羅してしまったわけです。<br>
<br>
<div class="line">後藤真希卒業までの連鎖反応</div><br>
さて、モーニング娘。が第４のステージ、主体的少女を歌うようになったのは「Ｉ ＷＩＳＨ」からです。この曲は衣装もライダースーツをイメージした活動的なもので、元気なモーニング娘。の姿をアピールしていました。そこから主体的少女の「歌うこと」が連鎖していきます。「恋愛レボリューション２１」「ザ☆ピース！」では日常的な恋愛が、人生のエッセンスとなります。「Mr.Moonlight」でも日常的な風景の中で（ハンバーグとか）、恋愛が、人生を楽しく過ごすための調味料的な役割を果たしています。「そうだ！We're ALIVE」では、恋とか青春とかの中で生きていく決意が力強く歌われます。そして「Do it!Now」。旅立つ決心を、翼をイメージしたダンスで表現します。<b>「Ｉ ＷＩＳＨ」から動き始めた「主体的少女」というドミノ倒しの到達点には、「決心」というメンバーの旅立ちにふさわしいテーマがありました。</b>この時にモーニング娘。が経験したのは「旅立つことを奨励する空気の増大」であり「卒業を止める力の低下」であったのです。<br>
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<div class="line">「旅立ち」を促すモーニング娘。</div><br>
「歌うこと」の連鎖はもちろん「Do it!Now」で終わりではありませんでした。「ここにいるぜぇ！」では何か新しいことを始める勇気が、「モーニング娘。のひょっこりひょうたん島」では冒険を恐れず進み続けることが強く訴えられます。「AS FOR ONE DAY」が別れの歌なのも「シャボン玉」が捨てられる歌なのも、「先に進まなくてはならない」というモーニング娘。システムの在り方から創出されたもの、と解釈できるのです。当時、モーニング娘。のめぐる人々は、その時その時、新しい物を生み出そうとしていたことと思います。それは船の舵取りのように、モーニング娘。の方向性をその都度決定しなおしていました。しかし、船の向きだけが進路を決めるのではない。当事者からは決して見えない、モーニング娘。システムの連鎖という巨大な海流が、船を強烈に押し流していました。モーニング娘。が「先に進まなくてはならない」システムであり「進化し続けなくてはならない」システムである以上、「挑戦」「旅立ち」「別れ」は奨励されるべきことなのです。<br>
<b>モーニング娘。が新しくなろうというとき、メンバー変動を抑止する力は弱くなる。</b>「進化するモーニング娘。」にとって論理的にメンバー変動は好ましいこと、です（感情的にはそうでなくとも）。もちろんそれは加入という方向もあるし、卒業という方向もあるし、人は変わらずキャラ変更で済む場合もあるでしょう。しかし、モーニング娘。システムがどの方向にドリフトするかは絶対に予測不可能です。「出会い」が強調されるか「旅立ち」が強調されるか、それは「進化」というコインの裏表。はじいてみるまでどちらが出るかわかりません。<br>
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<div class="line">安定した時期は、新しさのない時期</div><br>
高橋リーダー下のモーニング娘。がメンバー変動なく長く続いて来られた裏には、特に目新しい「歌うこと」が創出されなかったことと関係がある。「女に幸あれ」に始まり（正確には「悲しみトワイライト」から連鎖して）、「なんちゃって恋愛」に至るまで、ほとんどその表現に目新しさがなかったから、人々は安定したモーニング娘。らしさを思い描くことができたし、安定したモーニング娘。というイメージは、きっと卒業を止める力を高める。<br>
「気まぐれプリンセス」で打ち出した新機軸に対して、久住さんの卒業がコラテラル（仕方のないこと）だなんて、考えたくもない話ですが、今回の理不尽な卒業発表に対して、無理に理屈をつけるとするならば、こんな救いのない結論にならざるを得ません。「モーニング娘。が新しくなるから、メンバーも変わっていく」。それは決して前向きな判断から生まれるものではなく、「○○であるべき」なんて価値判断をする余地もないくらい、必然的な原則です。もちろんこの世に永遠などないのだから、仕方のないことかも知れませんが、それにしてもモーニング娘。に新しい何かを求めることが、その無常を加速させているとしたら、……何やってるんでしょうね。応援と称して僕らは……。「応援」なんて過大評価。<br>
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せめて、今日のステージが、あの子にとって充実した、楽しい時間となりますように。<br>
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声援に、サイリウムに込められる唯一の想いが、それなのではないか。複雑な思いはとりあえず捨象して「今日も楽しい時間であって欲しい」と祈る気持ちで声を出す。やっぱり参戦も、祈りのようなものだ。それでいいのではないか。それであの子の「やっててよかった」が少しでも足し算されるなら。追っかけにできることはそれだけだし、追っかけ以外にはできないことなのですから。
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51606707.html">
<title>ガキさんは二元化を否定する　－没個性論ふたたび－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51606707.html</link>
<description>♪みんながボケると忙しい♪

コンサート「ナインスマイル」中のワンシーン。ガキさんがステージ向かって左側に立ち、残りのメンバーは中央に縦一列に並んでいる。ガキさんにスポットが当てられて、他のメンバーを叱るように指さしながら♪小姑のキャラを確立♪。ガキさんだ...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2009-10-31T23:22:28+09:00</dc:date>
<dc:subject>世迷い言</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[♪みんながボケると忙しい♪<br>
<br>
コンサート「ナインスマイル」中のワンシーン。ガキさんがステージ向かって左側に立ち、残りのメンバーは中央に縦一列に並んでいる。ガキさんにスポットが当てられて、他のメンバーを叱るように指さしながら♪小姑のキャラを確立♪。ガキさんだけが、他のメンバーと混じらずに、しっかり者のつっこみ役を演じている。ガキさんの個性を強烈に印象づけるシーンです。<br>
<br>
<div class="line">ＺＹＸ矢口さんの「芋焼酎」発言</div><br>
あれは２００３年８月だったか、ミュージックステーションにＺＹＸが出演したときのことです。当時、小学生だったメンバーたちが好きな給食だとか、好きな科目だとか（記憶が定かでないけど）、いかにも小学生らしい、子どもらしいコメントをして、視聴者にＺＹＸの若さを印象づけている。最後に自己紹介することになった矢口さんが、無表情に「矢口真里、２０歳です。最近芋焼酎を飲みました。大人の味って感じでした」。客席から笑いをとっていました。矢口さんは、自分の個性をどうすれば印象づけることができるか、よく知っていたように思います。モーニング娘。の中では身長の低さを徹底的にアピールし、「おいら」とちびキャラにふさわしい一人称を使用していたけど、同じことをＺＹＸでやっても何にも目立たない。そこでベクトルを１８０°逆にとっておばさん臭い「芋焼酎」発言で笑いを取る。他のメンバーとの差異を用いて個性を訴えかける。「自分らしく」よりも他のメンバーとの差異が際だつように。矢口さんは、モーニング娘。的個性の本質をもっともよく理解していたメンバーでした。<br>
<br>
<div class="line">モーニング娘。的個性とは他メンバーとの差異</div><br>
モーニング娘。の中で「個性」と言った場合、それは線引きのユニークさを意味します。何よりも「面白さ」が求められたモーニング娘。には、「歌唱力」や「演技力」は、期待されていなかった（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51562900.html">「ふるさと」敗北の原因</a>）。感動させる歌よりも、盛り上がる曲を提供することが期待された。そんなグループ内では、歌の上手さとか、ダンス能力によるランク付けはそんなに意味を持たなかった。歌の上手さで１位から８位までランク付けしたところで、そもそもモーニング娘。に「アーティスト」を期待する人が少なかったわけです。それよりも「年長者がいて、ちびなコがいて、北海道訛りのコがいて」というパーティ的な面白さを期待する人の方が多かった。そのことは、４期加入後の人気ぶりがよく表わしています。歌唱力に優れたメンバーが入ることよりも、はちゃめちゃなメンバーが加わることの方が注目に値したのです。<br>
<br>
<div class="line">「１対他」の二元化コード</div><br>
モーニング娘。内で目立つため必要なのは二元的な価値観を持ち込むことです。「歌唱力」とか「演技力」とか「ルックス」とかいった一元的な価値基準で他メンバーを凌駕するのではなく、「自分とそれ以外」との差異をくっきり際だたせた方が目立つのです。しかもそれは「背の低さ」とか「音痴っぷり」とか「福井訛り」とか、普通マイナスに見られるようなものであってもかまわない。「背の低いメンバーとそれ以外」とメンバーを２つに区切る。「音痴なメンバーとそれ以外」「男っぽいメンバーとそれ以外」。この線引きは、「１対他」になるのが理想的です。だって「福井人とそれ以外」の方が「中国人とそれ以外」よりも、よっぽどメンバーの個性を表してしまうのだから「１対他」でなくてはダメなんです（辻加護は例外中の例外でしょう）。その点、矢口さんは本当に優れたアイドルでした。モーニング娘。では「背の低いメンバーとそれ以外」、ミニモニ。では「しっかり者とそれ以外」、ＺＹＸでは「おばさんとそれ以外」。常に自分しかこちら側に入って来られないような境界線を引いて、他メンバーとの差異を明確にしていました。アイドルの個性は「１対他」の形でメンバーを二元化する、その線引きの巧みさにかかっています。それは、学校のクラスや職場で言う個性とはだいぶ異なります。クラスや職場での個性と言えば「人に負けない特技がある」とか「ユーモアのある会話ができる」といった、能力的な長所を指しますが、アイドルの個性は「出身地」とか「身長」とかいった属性だけでなく、「音痴」とか「ポケポケプー」とかいった短所であっても個性になります。だから個性的になろうと思ったとき、アイドルのまねをしてはならない。教室で目立つための個性と、テレビで目立つための個性とは、全然性質が異なります（さゆみんが教室にいたら、そのクラスは大変でしょう）。<br>
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<div class="line">ガキさんは二元化を否定する</div><br>
ガキさんはデビュー当時から、個性の見つからないメンバーでした。（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51003708.html">没個性の個性</a>）４期が「女の子とそれ以外」「男の子とそれ以外」「子どもとそれ以外」という非常にわかりやすい二元化コードを採用していた、そのただ中に投げ込まれた５期メンバーは、独自の二元化コードを引くことに苦労していました。しかし、それ以前に、ガキさんには無理でしょう。モーニング娘。が大好きで、安倍さんに憧れ、いつだって「○○さんみたく」という目標を持っていたガキさんには「自分とそれ以外」という境界線をイメージすることができなかったし。そんなガキさんにようやく引かれた二元化コードが「しっかり者とそれ以外」と、メンバーを分割する縦線でした。「ナインスマイル」中の、ガキさんだけが左に飛び出る演出は、その二元化コードを可視的に表わしたものです。しかし、やはりガキさんは自分１人を隔離する形で二分化することを嫌うようです。今ツアーでガキさんがやっていることと言えば、後輩メンバーにちょっかいを出して甘えるような仕草をすることです。夏あたりから「私はもっと自由にしていたい。後輩にしっかりしてもらいたい」という発言も出てくるようになりました。せっかく二元化コードを獲得したと思ったら、次の瞬間にはもうその線を足で踏み消すような行動に出る。その代わりに「甘えられるメンバーとそれ以外」という自分目線で、自分を抜きにした８人を二分化しながら、ガキさんはモーニング娘。と関わっている（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51600932.html">寄りかかるガキさん</a>）。ガキさんはどうしても「みんなと一緒」がいいみたいです。<br>
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<div class="line">個性的でない、という価値</div><br>
けれども、ガキさんのそんな没個性は、短所とばかりも言えない。むしろいつだって「みんなと一緒」を選択するガキさんだからこそ、ファンみんなが安心できる、という側面もあるような気がします。特別、自分のキャラとかを訴えない。そのことが何より「モーニング娘。の安定」を求めるファンの心象に強く訴えかける部分もあるはずです。ガキさんは８年間、特別個性的なことは何一つして来なかったと思います。８年間、同じことをし続けた。そしたらみんなついてきた。一つのことをし続けるという、それだけで人に認められることだってあるのかも知れないな、とガキさんから教わったことです。こういう在り方は今どき流行らないかもしれない。けれど、どんなに流行らなくたって、モーニング娘。の歴史と添い寝し続けるのがガキさんという存在なのでしょう。
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</item>
<item rdf:about="http://risa.gakisan.jp/archives/51600932.html">
<title>寄りかかるガキさん　－小春の肩にアゴを乗せるということ－</title>
<link>http://risa.gakisan.jp/archives/51600932.html</link>
<description>ガキさんにとって２１歳の誕生日、心からおめでとうございます。

現在行われているコンサートツアー中のＭＣにおいて、いつだったか「私も亀みたいにテキトーな感じになってみたい」と話していました。その前に「私は普段、しっかり者で…」と言ったとき、客席から「えーー...</description>
<dc:creator>lutinman</dc:creator>
<dc:date>2009-10-20T00:00:22+09:00</dc:date>
<dc:subject>世迷い言</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ガキさんにとって２１歳の誕生日、心からおめでとうございます。<br>
<br>
現在行われているコンサートツアー中のＭＣにおいて、いつだったか「私も亀みたいにテキトーな感じになってみたい」と話していました。その前に「私は普段、しっかり者で…」と言ったとき、客席から「えーーーーーーーっ！」と反対の声。ファンはもう知っています。ガキさんが楽しくなっちゃうと自分を止められなくなること。人の話を聞かずに、意味不明な発言をすること。そして、……これ、伝わるかな？……、ステージ上でしょっちゅう後輩メンバーにちょっかいを出して遊んでいること。ふざけあう相手が愛ちゃんだというのは以前からあった。亀ちゃんやさゆみんと、という場面もこれまでに見たことがあった。でも、最近は、小春ちゃんとかみっつぃとかに向かってガキさんが<b>自分から</b>ちょっかいを仕掛けて、それでみっつぃに諫められる。そんな、ちょっと前まで想像もつかなかったシーンが見られるようになりました。<br>
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ガキさんはもともと甘えっ子なんだ。<br>
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女子かしまし物語で♪小姑のキャラを確立♪とか歌っている一方で、実はメンバーに寄りかかるガキさんがいたりする。で、自分はそんな寄りかかるガキさんが好きです。しっかりしているガキさんとか、自覚あるサブリーダーとしてのガキさんよりも、楽しんで見境なくして飛び跳ねているガキさん。それが最近、当たり前になっているというのは嬉しい限りです。<br>
そんな様子を見て、人は言います。「７期、８期のトークやパフォーマンスも安定してきたから」とか「メンバー１人１人の能力が上がったから」とか。その点については確かに賛成で、例えば「なんちゃって恋愛」のリリースイベントとかでも、ガキさんが敢えてまとめようとしなくても、誰かがトークをきっちり締めている。だからガキさんも安心！というわけです。でも同時に、ちょっと違うことも考えます。ガキさんがメンバーの成長を見守る風のコメントをすることと、ガキさんがステージ上で後輩に甘えたような行動を取ることとは、全然別の話なのではないか、と。メンバーがレベルアップしたからって、それで「自分は緩くてもいいや」とは、簡単にいかないと思うんです。ガキさんという人は。そんな器用に力を抜けるコじゃないと思うんです。<br>
この疑問には、たぶん客席の目線とは違った目線を持ち出す必要がある。「トーク力の向上」「パフォーマンスの安定」。それらは客席の目線、観察者の目線です。ステージを客観的に見る批評家ならそういう風に見るでしょう。匿名掲示板のように、完全に自分という存在を抜きにして叩いたりネタにしたりする人々にとっても、「実力」とか「レベル」というのは大きな関心事なのでしょう。でも、ガキさんはそういう風に見ていないのではないか。<br>
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力があるかどうか、という観察者の目線とは全く別の目線。このコに甘えても大丈夫か？という目線。歌唱力とかトーク力とかの「力がある／ない」とはまた違う次元、ガキさんの目線で「甘えても平気／平気じゃない」と、メンバーを２元化するコードが作動している。両者は似ているようで、全く違います。「力がある／ない」の２元化コードは常に、モーニング娘。という全体の中で作動します。娘。にとって頼れる戦力。娘。にとってなくてはならない戦力。それに対して「甘えても平気／平気じゃない」の作動は、あくまでガキさんが基準です。ガキさんから見て甘えられるメンバー。ガキさんだけが採用できる個別の基準。他の人には何の役にも立たない、ガキさんだけの閉じた基準でもって、メンバーを２元化する目線。ガキさんはモーニング娘。をそんな風に眺めることがあるのではないでしょうか。この目線を生成する回路は閉じています。実力のある／なしとの相関関係がないわけではないけれど、全く同じというわけではない。例えば亀井さんは、歌唱力やトーク力については全面的に信頼できます（ボケたことを言う点も含めて）。亀井さんはいろんな意味で「力がある」メンバーです。しかし、ガキさんにとって「甘えていいメンバー」とはならない。えりりん側がそれを許さない。あくまでガキさんに寄りかかろうとする。一方、小春ならどうか。小春の肩にアゴを乗せるとちょうどいい高さになる。小春ちゃんの方でも面白がってガキさんの頭をなでたりする（２人の仲について良からぬ想像をしている人は、一度ステージ上の２人を見て欲しい）。小春は「甘えていい」メンバーなのだと思います。ガキさんの見ている世界は、よく言われる「力がある／ない」とは異なっていて、ファンがメンバーの成長とか、グループの進化とかいった物語を語る向こう側で、ガキさんにしか見えない物語が進行している。グループの中で、自分が寄りかかれるメンバーがいかに育つか、という物語。あくまでも自己中に、どこまでも子どもじみた「甘えさせてよ」という目線。そんなガキさんが一番いいと思う。<br>
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加入したてのころのガキさんにとっての課題は「先輩たちにいかに追いつくか」だった。それが２００４年を境に（おそらく安倍さんの卒業あたりから）、「自分をいかに磨くか」という課題へとシフトしていきました（<a href="http://risa.gakisan.jp/archives/51299009.html">ガキさんはなぜきれいになったか</a>）。そして、愛ちゃんがリーダーとなってからは「モーニング娘。をいかに支えるか」という大きな大きな課題が、ガキさんにのしかかることになります。そして、２０歳を迎えたあたりから、先に述べた「いかに甘えてみせるか」という……、これ、ある意味ガキさんの原点です。<br>
どうもアイドルというと「成長を見せるもの」という固定観念が強いように思えます。オーディション番組出身という性格上なのか００年代の特徴なのか、やっぱりみんなメンバーの成長、グループの進化を一番気にしている。確かに成長物語は、見ていて応援したくなるし感動もあるし、とても魅力的です。でも、それと同じくらい「大人が童心に帰る」物語だって人を引きつけるじゃないですか。２１歳を迎えたガキさんには、自由にそうして欲しいな、と思います。８０年代、アイドル界を革新させた「センチメンタル・ジャーニー」は大人になることを否定して見せましたが、２０１０年代のアイドルは成長そのものを否定して後退の魅力、子どもに帰ることのもたらす癒しを目指してみてはどうでしょう。おバカなアイドルが大人気の今、成長とは真逆の物語にだって、価値があるし面白さもあることを人々はよく知っているはずです。スタイルがいい美人ばかりではなく、欠点もあって愛せる存在がこれからのアイドル界を支えていくのだと、僕は予感しています。甘えっ子なのに小姑キャラ、みたいな。うん。
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